御所山城
御所山城([石垣山城 周辺城郭])
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御所山城の口コミ情報
2024年12月11日 noble中納言弥勒菩薩
御所山城です。
口コミがなかったのでわれが先陣を⚔️
攻城日 2021年5月3日 晴
写真は焼き直し掲載なので少し見づらいです。すみません🙇
ここ暫く、安直ものぐさ平城ばかりのナマケモノ城メグラーと化している自分ですが、少し前はどんな障害も厭わず、無鉄砲に人跡未踏の地へ踏み入れていました。その頃の記録です。
“御所山城”、数年前に何処かの出版社から、
『一度は行ってみたいけれどハンパなく危険なので行くべきではない全国のお城』
のようなタイトルの書籍が出版されていました。
全国の“危険な”お城群と並んで、ここもその本に載っていたと記憶しています😨
所在は小田原市になります。
1986年だったか、かなり直近に発見された城郭で、文献や伝承も何もなかった所です。
構造から、近隣の石垣山城などと同じく、秀吉による小田原攻めの折に、一時的に構築された、謂わば“付け城”であろうと云われています。
なので伝承も残っていないのではないか、ということです。
ここは東西に並列する曲輪から成り立っており、虎口など、秀吉城郭ならではの特徴も伺えます。
“行ってはいけない”、“危険”…
何故か?
とにかくあぶないです。城域も、登城道も全く未整備(かつて少し整備された痕跡はあります)。
麓でもっとも距離が短い根府川辺りから歩いて登るのもまぁムリ。
では、以下に3年前の攻城記録を。
箱根ターンパイクという、箱根に登る有料の自動車専用道路があります。
小田原料金所から入り、直線で約7、8kmほどの所に、下り線、上り線ともに開けた場所があります。“旧 桜山駐車場”の跡で、今は特に何もなく飲料販売機すらありませんが、規制もないので、車が駐車できる場所です。結構広い。しかし、もちろん案内も全くないので、高速で運転しているとここを見過ごして通過してしまいます。
小田原から登る場合、ここの下り線(日本橋起点ですよ!)に停め、城入り口は上り方(箱根から降りてくる方の道です)になるので、高速走行の車群を横切って道の反対へ行かねばなりません。まずここ、本当に注意が必要です(写真①)。
入り口を探しますが、ほぼ藪化しているので踏み跡もなかなか見つけられません。が、かすかな切れ込みを見つけて入ると、手製の案内標柱が朽ち果てて転がっています(写真③)。
ここからは微かな踏み跡、藪の微かな切れ目を頼りに登るのみ、です(写真②⑦)。
この登道(城道)は、“太閤道”という言い伝えがあったようで、それもこのお城の築城目的を裏付ける二次資料ではあります。
迷いながらなんとか方角の目星をつけて、藪漕ぎしながら登りますが、途中で電波🛜が繋がらなくなります(自分はau)。ここからは完全に太陽の位置を頼りに(と云っても、藪過ぎて太陽もあまり見えない😰)。
途中、何度か迷いながら、城域に到着。自分は、“西曲輪”の南側城塁下に辿り着きました(写真④)。
曲輪内も基本的にはド藪です。
東西曲輪間は仕切り土塁がありました(写真⑧)。
東曲輪北側には、割りと明瞭な虎口(写真⑥)、そして両曲輪間には恐らく“枡形の虎口”(写真⑤)。
しかし、改めて写真を見直してみると、どれも藪過ぎてさっぱり分かりませんね😭
下城するのも大変です。山城だと、良く先人が“ヘンゼルとグレーテル”のように目印を付けてくれた赤いヒラヒラがあるものですが、ここは本当に一ヶ月間で一人も入る人がいないだろう、という地。
そんな目印があるはずもないです😱
自分は登りも迷いましたし、下りは自分で付けたmy目印も見付けられず、完全に道を見失いました。
陽も暮れ始めて収拾が付かなくなり、自動車道を走る車の音のする方を頼りに、なんとか戻れた記憶があります。
確かに、ここは“かなり危険”でした。
三年経っているので、今がどのような状態か見当もつきませんが、あの頃より整備されているとは到底思えません。
それでもチャレンジする方、
1.
2名以上で(車の運転上もアナログナビゲーターがいた方が絶対安全です)
2.
方位磁石携行必須(電波届かないので)
3.
午後遅めは避ける(陽が暮れたらアウト)
上述が、好奇心旺盛な方(いや物好きな方😁)にとって、1%でも何かの参考になれば幸いです!😝
でも、結論としては、ここはオススメしません😆