石橋山古戦場

石橋山古戦場([小田原城  寺社・史跡])

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石橋山古戦場の口コミ情報

2021年10月30日 龍馬備中守【】


神奈川県の小田原市にある【石橋山古戦場】♪実家へ里帰りした際行ってきました☆この場所は源頼朝が鎌倉幕府を拓く以前の話♪源頼朝VS大庭景親ら平家方との間での戦いになります☆石橋山の戦い♪源頼朝は3百騎に対して大庭景親ら平家は3千騎という10倍の兵力差の中戦はおこなわれました☆この戦は治承・寿永の乱の中の局地戦です☆平安時代の末期の地方には私有地である荘園が増え律令制度は徐々に崩壊していきました☆この崩壊により地方の豪族達は力を得た訳です☆荘園を開発した地方の豪族いわゆる武士達は東国の武蔵・相模に多くって小田原地方には曽我氏、大友氏、小早川氏、中村氏、河村氏、松田氏等の一族が勢力を持ちました☆西国の武士を従えた平家は保元の乱、平治の乱等の朝廷内部の争いを利用し勢力を広げ政権を握りました☆これに対し東国武士に信望のあった源家は以仁王による平氏追討の令旨を掲げて源頼朝が伊豆で挙兵☆伊豆・相模の武将の援軍を得て3百余騎を従えた源頼朝は鎌倉に向かう途中の石橋山で前方を大庭景親の3千余騎に後方を伊東祐親の3百騎に挟まれて大苦戦…源頼朝方の先陣・佐奈田与一義忠が敵将の俣野景久と対戦したのを発端として戦闘に入るも10倍を越える敵の軍勢に源頼朝は破れ箱根山中に逃れた後に真鶴から海路で安房国(現千葉県) へ向かいました…そして安房国で力を蓄え再挙する事になりました♪此れにより源家と平家間では更なる軍事的な緊張が高まっていきました☆源家VS平家の戦いは以降激化☆ただしこの戦いを契機に平家に圧迫されていた三浦半島の三浦義明、和田義盛、千葉常胤、上総広常らの豪族は源頼朝に呼応☆三浦義明は好きな武士の1人ですが義明の最期がまた涙…。。「源氏累代の家人として、その再興に立ち会うことができた。これ程の喜びはない。武衛(頼朝)のために我が老命を奉げて子孫の勲功を募らん。皆は彼の生死を確かめよ」と言って1人、城に残り討ち死にしてます☆これが衣笠城で起こった衣笠城合戦です☆栄華を誇った平家が滅亡に至った治承・寿永の乱の最後の戦いは本州、九州の玄関口、壇ノ浦の戦いへと繋がっていきます☆そして後に鎌倉幕府を築き上げていきます☆今回は石橋山の戦いのみでお送りしました☆あともう1つ♪箱根外輪山の相模湾に面したこの山腹の一帯には江戸時代初期の寛永年間頃の江戸城の修築に使用された石垣用の『石切丁場』も残ります♪

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