土肥氏館

土肥氏館([土肥城  周辺城郭])

土肥城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「土肥氏館」の地図・口コミがご覧頂けます。

「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。

土肥氏館の口コミ情報

2025年09月25日 マグロ常陸介祐平


桓武平氏良文流の中村宗平の次男、土肥実平がこの地に館を築いたとされています。頼朝の挙兵では、実平らの中村党はいち早く馳せ参じ、石橋山の戦いで敗北の際は、頼朝に同行し、安房へ逃れる船の手配などを行っています。その後も義仲征伐や平氏追討で活躍し、安芸沼田荘などの所領を得ています。実平の死後、和田合戦で和田側に付いた実平の孫維平が処刑されると勢力を失ったようですが、その後も城願寺の墓石から、子孫はこの地に居住したと思われます。また、分流は安芸沼田荘(小早川氏)の他、越中弓庄城主(登録城)土肥氏や室町幕府奉公衆の近江箕浦の土肥氏が戦国期まで活躍しています。

館は、新編相模国風土記稿の成立した江戸時代後期には、土肥次郎実平宅跡として、城願寺前の白田としており、今遺跡の存するものなしと書かれていることから、遺構は消滅していたと思われます。館から2km程北西にある土肥城(登録城)は、詰城とされるようですが、年代的には怪しいようです。

湯河原駅前ロータリーには、実平公夫妻の像や石碑が建ち、城願寺には、土肥氏一族の墓(66基の墓石、県指定史跡)や石橋山の戦いの故事から七騎の木像が納められている七騎堂があります。城願寺は実平が館の裏山に建てた持仏堂を起源とし、南北朝期に末裔の土肥兵衛入道が再興したとされ、一族の墓には実平・遠平の墓の他に嘉元2年(1304年)の重層塔や永和元年(1375年)の宝篋印塔が建っています。

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore