伊丹城
伊丹城([青ヶ台城 周辺城郭])
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伊丹城の口コミ情報
2025年05月22日 マグロ常陸介祐平
摂津国伊丹城(後の有岡城)の伊丹氏の一族、伊丹氏のお城です。室町幕府管領細川氏の被官人として、伊丹左京亮経貞が関東に下向し、金沢湊を拠点としたのが釜利谷伊丹氏の始まりのようです。永親の代に北条氏に仕え、子の右衛門太夫康信は北条家所領役帳に367貫332文とあり、第二次国府台合戦で討死しています。康信の弟の政富の子らは幕臣、太田氏家臣、加藤嘉明家臣と様々ですが、三男直吉は幕臣になるも加賀爪民部(忠澄?)と争論を起こし蒲生秀行の預けとなったとされ、直吉の娘の産んだ子が伊丹直之を名乗り紀州藩士となります。直之の孫の直賢は後の徳川家重の御伽となり、吉宗の将軍就任で幕臣となり、直賢の娘は同じく紀州藩士から幕臣となった田沼意次の妻、孫娘は意次の甥の意致の妻になるなど、田沼家とは二重の縁で結ばれています。(金沢伊丹氏歴史郷土財団のHPより)
お城は、釜利谷小学校の北側の「堀の内」地区にあったとされますが、風土記稿には、「古伊丹氏居住せし所と云」と簡単な記載で、江戸時代には遺構は消滅に近い状態だったと思われます(写真1~3枚目)。近所の方に伊丹氏の屋敷について尋ねたところ、現在住まわれている伊丹氏宅(現代的な住宅)を案内されました(戦国時代のと言ったのですが・・・)。一族からは現地で帰農し名主を務めた伊丹氏も存続したようです。
✱後で調べたところ、このお宅付近が室町時代の屋敷跡として埋蔵文化財包蔵地となっていました。
近くにある禅林寺は、足利成氏が開基し、伊丹永親が再興したと伝わります。政富の子で僧となった忠尊は、浅草寺の別当、江戸城内紅葉山東照社別当、日光山輪王寺観音院開基と活躍し、お城のあった坂本村が紅葉山の神領となったことから、禅林寺には東照大権現(家康)の御神影が伝わります。また、墓域には伊丹永親と直賢の墓があります(写真4~7枚目)。