川田館

川田館([八田家御朱印屋敷  周辺城郭])

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川田館の口コミ情報

2023年11月05日 【国替準備】国府左京大夫城介


武田信昌から信虎三代に渡る守護館

【歴史】
寛正6年(1465)に武田信昌(信玄の曽祖父)が、川田の地に武田氏の守護館を構え、信縄・信虎と三代続いて、守護館として用いられていた。しかし、永正15年(1518)または同16年(1519)に、信虎は躑躅ヶ崎に守護館を移転した。(王代記では永正15年に、高白斎記では永正16年に躑躅ヶ崎に移転したと記されている)

史料(王代記)によっては、信虎が永正11年(1514)に築いたとも書かれています。

【遺構】
八田家御朱印屋敷から西に1.15kmに位置した守護館(方形居館)。

現在は遺構は残っていないが、説明版によると城に関連する地名(御所曲輪・御厩屋敷)が残っている。御所曲輪と呼ばれる一帯には堀と土塁の痕跡が認められ、南北一町(約190m)、東西二町(約280m)の広さの館であったと推定されている。甲府市が行った試掘調査では、信昌から信虎の時代の土器や擂鉢、大陸から輸入された陶磁器等が発見されている。
北西にある二宮神社は、川田館の鎮守社となる。また、東側には三ツ俣(大井俣)と呼ばれる水の分配施設(川田・桜井・和戸方面に分配)があり、その内の2筋を水堀として組み込んでいた。

【感想】
武田信虎が躑躅ヶ崎に移るまで用いていた館ですが、現在は果物畑となっています。とはいえ、武田氏の守護館がここにあったんだという感慨が深いものはあります。
水利施設を館に取り込むなど、石和付近を支配するという強い目的があったことが十分にわかります。一方で、水害に悩まされていたことから、信虎は躑躅ヶ崎に移転することになったようです。

【アクセス】
石和温泉駅から徒歩10分。

【写真】
①川田館跡
②説明版(川田館)
③二宮神社
④三ツ俣

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