景徳院

景徳院([勝沼氏館  寺社・史跡])

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景徳院の口コミ情報

2026年06月11日 千葉相模守早雲


武田勝頼は織田軍による甲州征伐において、新府城に火を放ち岩殿山城へ向かうも小山田信茂の謀反により進路を塞がれます。後ろからは織田軍が迫り、北西の栖雲寺を目指しますが寺を焼かれて果たせません。

土屋昌恒の千人切りの活躍もあり、何とか田野の地まで逃れてきた武田勝頼一行ですが、滝川一益に命じられた滝川益重・篠岡右衛門の隊に囲まれて、進退極まり、自刃して果てました。勝頼37才、北条夫人(北条氏政の妹、桂林院)19才、嫡男信勝16才だったそうです。

天正壬午の乱後に甲斐を治めた徳川家康は積極的に武田遺臣を登用し、小幡勘兵衛に命じて田野の地に勝頼の菩提を弔う「田野寺」を建立させました。後に勝頼の戒名である「景徳院」と改めました。

勝頼の墓は中央に勝頼の宝篋印塔、向かって右に北条夫人、左に信勝の五輪塔があります。また周辺には、それぞれの生涯石があります。

1.景徳院山門。棟には武田菱。内側から見ると花菱です。
2.本堂。幕や棟にも武田菱。
3.説明板。
4.勝頼の墓。右が北条夫人、左が信勝。
5.勝頼の生涯石。
6.信勝の生涯石。
7.北条夫人の生涯石。

2021年03月01日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖


景徳院は武田家終焉の地です、徳川家康の命により建立された寺で、境内には武田信勝公が世継ぎの儀式を行った場所とされる旗竪松(言い伝えによると織田軍に追われていた勝頼公は、世子の信勝公が元服(鎧着の式)を済ませていなかったことから、急いで陣中にあった楯無の鎧を着せ、擐甲の礼(世継ぎの儀式)を行いました、その際重宝旗を大松の根元に立てたといわれる)、武田勝頼公親子が自刃した生害石、お墓、勝頼公親子の遺骸を埋葬した場所、首洗い池(勝頼公、信勝公父子の首を洗ったとされる場所)、武田慕情歌碑があり、景徳院の諸堂は焼失してしまったが、山門のみが火災を免れ当時のままの姿を残しているとの事で、現存する山門は歴史を見続けて来たのかなと思いながら静かな境内を歩いているいると境内に有る、武田慕情歌碑の詩が心をつかみ♪夕日に染まる甲斐の山こだます鐘に春おぼろ、戦いくれたつわものの、大和ごころを知るように舞い散る花は山桜(苔むす森に蝉しぐれ、夢うたかたのまぼろしか、しずかに眠る勝頼の無念の涙を惜しむよに、天目山の夜半の雨、山狭深くせせらぎは紅葉をうつす流れ帯、人馬のひびき歴史は過ぎ、田野の河原に月の影、武田の里は 今しずか)色々と感慨無量の想いでした!
(案内板、富士の国やまなし観光ネットHP武田慕情歌詞等より)

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