四郎作古戦場の碑

四郎作古戦場の碑([勝沼氏館  碑・説明板])

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四郎作古戦場の碑の口コミ情報

2021年03月01日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖


四郎作古戦場は天目山の戦いの甲州道駒飼口からの最前線で武田勝頼公に最後まで忠義を貫いた、小宮山内膳友信が奮戦した場所です、小宮山内膳友信は武田の重臣小宮山丹後守昌友の長男として武田氏に仕え諸国への使い番12人衆の1人に数えられ 武田軍政に重きをなしていたが天正3年の長篠合戦以後小宮山内膳友信はその折々、軍のため率直に意見を述べたので、重臣たちはこれを快しとせず理非をわきまえずにこれを否定し遂にざん言により主君の勘気を被り蟄居を命ぜられ幽閉の身となったが、天正10年3月11日(1582年)に武田勝頼は多くの重臣たちに離反され、残った一族 と共にこの付近に於て最後の決戦をする運命に陥ったので、小宮山内膳友信は主君の危急を知り決戦の前夜一行に追い付き友信が譜代の臣でありながら、武田家最後の戦いに臨めなかったなら小宮山家末代までの恥辱であり武士道にも背くゆえ蟄居の許しを請い最期の戦いに御盾となり高思の万分の一にも報いたいと言上した、勝頼は、あっぱれな武士の鑑よな余の不徳の致す処であったと直ちにこれを許し、小宮山内膳友信は勇躍戦いの最前線であるこの地に陣を敷き寄せ来る敵と奮戦数刻の末 従容として主君に殉じた(この文章から小宮山内膳友信はこの地で討ち死にしたように解釈しますが、鳥居畑古戦場の説明板に小宮山内膳友信の名前が出てきますので、小宮山内膳友信は鳥居畑の地まで退いて討ち死にしたと考えました)戦いの直後奇しくも小宮山内膳友信の弟僧の拈橋がこの地を訪れ殉死した一族の霊を弔い小宮山内膳友信には忠叟道節居士の法名を贈った後に水戸藩の儒者藤田東湖は文天祥の正気の歌に和して或殉天目山 幽囚不忘君と詠み崇高な 至誠を貫いた内膳の忠節義烈を称したとの事でした、説明文を読みながら、武田家譜代の家臣の多くが勝頼公を裏切たのに勝頼公に最後の最後まで忠義を貫いた小宮山内膳友信の勇姿を思い浮かべたこの場所は静かでした!
(注意‼駐車場は有りません、自己責任で石碑の前に駐車させて頂きました!)
(説明板等より)

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