城谷城(飯田城・阻山城)
城谷城(飯田城・阻山城)([万喜城 周辺城郭])
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城谷城(飯田城・阻山城)の口コミ情報
2024年02月29日 国府左京大夫城介
金山城と相対する堀切に畝が存在する山城
【歴史】
築城者・築城年代共に不明。
戦国時代末期には、この辺りは、里見氏・正木氏・北条氏・土岐氏が争っており、南側にある上総金山城と敵対する勢力が築いたと思われる。
別名:飯田城、阻山(そばやま)城
【遺構】
城谷(しろやつ)城は万喜城の南に約5kmに位置する山稜(標高88m/比高68m)に、南北700m・東西650mにも及ぶ巨大な連郭式の城郭です。
幾つかの尾根のピークに曲輪を築き、曲輪と曲輪の間には堀切を設けている。その堀切の間には、畝を設けて、行動の阻害を図っている。曲輪には切岸が施され、その下には腰曲輪が形成されている。更に曲輪から派生する尾根は、房総の城の定番ともいえる堀切を切っている。
南にある金山城を備えるためなのか、一番南の曲輪は南側に土塁をきっちりと造っている。この曲輪の北側は20mほどの急斜面となっており、容易に侵入することはできなくなっている。その更に南西側の尾根を進むと、二重堀切で守られた曲輪が存在している。
【感想】
金山城を堪能した後に、この城谷城を登りましたが、両城をがっつりと回ったので、かなりへとへととなりました。基本的に山林のため、遺構はほぼ完全に残っています。また、思ったより藪が少なかったため、遺構をよく確認することが出来ます。しかし、城谷城は曲輪間の高低差があり、加えて前日の雨の影響か一部ぬかるんだ箇所(元々粘土質の地層)があるなど、かなり体力を削られました。特に遺構の項でも記載した南の曲輪の急斜面はかなりきつかったです。現在は木々があるので、それに掴まれば登れますが、往時はどのように登ったのかかなり気になります。
この城の最大の特色が堀切に畝が存在していることです。北条の城みたいな畝ではありませんが、場所によっては複数の畝を確認することが出来ます。もしかすると、北条の築城技術が房総にも流れてきたのかもしれません。
一方で、南の曲輪の造りはなんとなく里見系の城郭っぽい造り(千本城、秋元城あたり)をしている気がします。色々な城の築城技術が模倣された結果、境目の城として、このような巨大な城郭ができたのかもしれません。
【アクセス】
いすみ鉄道の上総東駅から徒歩で約25分。
【写真】
①遠景(手前が城谷城、奥が金山城)
②③堀切
④北曲輪の堀切の畝
⑤南の曲輪の北側の堀切
⑥南の曲輪の土塁
⑦南の曲輪の南西側の堀切
⑧南西尾根にある曲輪の堀切