石堂城(石堂寺)

石堂城(石堂寺)([稲村城  周辺城郭])

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石堂城(石堂寺)の口コミ情報

2022年11月27日 国府左京大夫城介


喜連川頼氏が幼少期を過ごした地

【歴史】
築城年は不明だが、丸氏によって、石堂寺がこの地に本堂が再建された永正10年(1513)以降と推測される。
築城者は丸氏若しくは里見氏。

石堂寺は元々「石塔寺」といい、神亀3年(726)に行基上人によって創建されたと伝わる。
平安時代後半からこの地の豪族である丸氏の氏寺として繁栄していたが、文明19年(1487)に夜盗の災火により全山焼失してしまった。丸氏の援助により、20年近くかけて復興された。
天文7年(1538)に、国府台合戦で小弓公方である足利義明が戦死すると、その子の頼純や孫の頼氏(初代喜連川藩主)が、里見氏の庇護のもと、幼少期養育された。その縁もあり、頼氏の幼名である「石堂丸」に因んで、寺名を「石堂寺」に改めた。

【遺構】
石堂城は石堂寺の東側にある山(標高126m)に築かれている。主郭は広くはないが、急傾斜の地形に加え、北側と南側に土橋と堀切が残っている。石堂寺から繋がる尾根には、竪堀が残っている。

石堂寺は所謂城郭寺院であり、周囲から切り立った台地上に築かれている。曲輪や土塁、堀切などの遺構が明瞭に残っている。基本的に北から東にかけて土塁が築かれていることから、東側が大手にあたると思われる。
更に石堂寺の西側の台地上は、かつては尾根続きであった石堂原城(現在は畑)もある。

【感想】
石堂寺、石堂城、石堂原城を合わせて一つの城郭であり、主郭としての機能は石堂寺に、東西の出城として石堂城、石堂原城が役目を担っていたのだと思います。岩盤を削った堀切や切岸もあり、寺院ということで破城は免れているため、残存具合は極めて良好です。また、石堂寺の管理下にあるため、綺麗に整備されているので、遺構はとても見やすいです。

石堂寺の社務所にある「波の伊八」の彫刻(拝観料500円)があります。「波の伊八」は、葛飾北斎の富嶽三十六景神奈川沖浪裏に影響を与えた人物です。躍動感と立体感がすごく、本当に木を彫って作ったのが信じられないくらいのものです。

【アクセス】
館山駅からバス(日東交通)で「川谷・細田」行きに乗り、「石堂寺前」で下車。
バスの本数は少ないので、事前にHPで要確認。
駐車場あり。

【写真】
石堂城
①主郭
②北側の堀切
③尾根の竪堀
石堂寺
④本堂
⑤切通
⑥薬師堂と土塁
⑦東側の堀切
⑧石堂原城を望む

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