大戸城
大戸城([久留里城 周辺城郭])
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大戸城の口コミ情報
2024年02月04日 昌幸近江守晩秋リア旅
久留里城の支城だった大戸城。
里見氏もしくはそれ以前の領主だった上総武田氏の築城とされています。
1590年の小田原征伐前夜には里見領でしたが、豊臣秀吉の天下統一後は上総を召し上げられたため廃城となりました。
大戸城は小櫃川に三方を囲まれ、北側を通る久留里街道を監視していました。(なお近世の河川工事により西側の流れがなくなりました)
主郭部分を「二条ノ台」、副郭を「登城ノ台」と呼んでいます。
長い間手付かずだったことに加え、2019年の2度の台風直撃で、かなりの荒れ城になっています。ただロケーションを見ると相当堅固な城だったように思われます。
【写真の説明】
①登城口。「落石注意」の黄色い看板が目印。
②登城路。当時は横堀だったかも?
③二条ノ台(主郭)背後の腰郭。
④腰郭上には堀切が。一番の見どころ。
⑤二条ノ台(主郭)。祠が複数建つ。
⑥主郭西側は比較的緩やかなため、腰郭を複数配す。
⑦変わって東側は崖。
⑧「登城ノ台」を見る。地図記号が“荒れ地”なのだが、正にその通り。これ以上の進軍は断念。
※「二条ノ台」へ行くには虎ロープを使い堀切を登ります。手袋必須でしょう。
※「登城ノ台」へ向かう途中に“ぬた場”(イノシシのお風呂)あり。
2021年04月11日 国府左京大夫城介
千本城の南東にある支城
【歴史】
築城年代は不明。
築城者は、伝承では里見義実となっているが、真里谷武田氏が築城したと考えれている
天文の内訌で安房を追われてた里見義豊が、真里谷信清から滞在先として与えられているが、翌年犬掛の戦いで大半を喫し、戦死(自害)している。その後、久留里城が里見氏の勢力圏に入っていることから、大戸城も里見氏の支配下になっている。小田原征伐後に廃城となった。
【遺構】
千本城の南東1.2kmにあり、小櫃川の断崖に接する比高30mほどの台地にある。
かつては三方を河川に囲まれた天然の要害であったが、現在は河川改修されている。
城内は、複数の曲輪で構成されているようではあるが、近年の自然災害の影響で倒木が多く、北側の遺構の確認はできなかった。登城口から登っていくと祠があり、その背後に岩盤を掘削した深さ10mほどの堀切がある。その堀切を登ったところが主郭となっており、西側には腰曲輪や竪堀がある。小櫃川に面した東側完全な断崖になっている。
【感想】
房総の城に多く見られる近年の自然災害の影響が色濃く残っており、全てを見ることは不可能なお城です。
登城口は南側にあり、登城して直ぐの所にある堀切は、やはり房総の城の特徴である岩盤を掘削して造られたものでした。この堀切を直登しないと、主郭に入れないので、軍手等が必要です。主郭は完全に倒木と藪に支配され、遺構が分かりにくい状態になっていますが、腰曲輪や台地下まで伸びている竪堀を確認することが出来ます。
また、ネットの情報によると、猪が生息しているようなので、登城する際は気を付けてください。
【アクセス】
久留里線・上総松岡駅から徒歩で20~30分。ただし、徒歩の場合、国道410号(新道)のトンネル内を歩く時は注意してください。歩道がない上、ヘッドライトを点けずに走ってくる車もいますので気を付けてください。
【写真】
1:南側からの遠景
2:登城口
3:堀切
4:主郭
5:竪堀
6:腰曲輪