勝見城

勝見城([庁南城  周辺城郭])

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勝見城の口コミ情報

2024年01月04日 マグロ常陸介祐平


郭群の背後を屏風のようにそそり立つ山稜(低山ですが)の細尾根を城塁として利用したお城です。
細尾根上は遊歩道となっており、歓喜寺から東福寺跡の安らぎの森の裏側まで、いくつもの堀切を見ながら起伏の激しいアスレチックのようなコースを進みます。途中、観音堂跡の郭(写真3枚目)に降りるコースもあります。
遊歩道とはなっていますが、木の階段などは痛みも激しく、注意が必要です。安らぎの森側の入口は階段が崩れており(写真8枚目)、通るのに少々苦労しました。

上総介広常の弟、金田小太夫頼次の城と伝えられ、その後は千葉一族の鏑木氏の系統の金田氏が戦国期まで城主として続いたようです。
先人様の口コミで、金田氏の偏諱による領主の考察は興味深い内容となっています。

2021年01月12日 昌幸近江守晩秋リア旅


歓喜寺側からの登城です。檀家さん向けの駐車場があります。(10台ほど停められそうです)裏手に階段があり、登り切ると二重堀切の対岸に出ます。雨上がりでしたので深入りは止めましたが、岩盤城郭を堪能したいなら、歓喜寺側から登城した方が良さそうですね。

【写真の説明】
①登城途中の削平地。上が観音堂跡。観音堂はこの城で一番広い削平地。重要だったことを再確認しました。
②二重堀切を対岸から。主郭部はやはり高い所に設置しています。
③岩盤堀切。明らかに人の手が入ってますね。
④麓に建つ歓喜寺。

2021年01月08日 昌幸近江守晩秋リア旅


古くは鎌倉時代に平上総介広常の弟、金田頼次に与えられた城と言われている。
戦国時代、自治体で作られた説明板(30年前のもの)では、一宮正木氏と庁南武田氏のどちらの居城か不明との記載だったが、郷土史研究家は、歴代当主が庁南武田氏が名前で用いる「信」の文字を使っていることから、庁南武田氏の属城で、しかも極めて親密な関係であったとしている。これについては郷土史研究家の意見が正しいと思う。
庁南武田氏は、次第に安房里見氏・真里谷武田氏と対立するようになり、庁南城が落城すると金田正信は自害、一族は三河に移り、松平氏に仕え、江戸時代を迎えることとなる。

房総の城郭らしい痩せ尾根に堀切多用の城でした。
登城は東福寺があったやすらぎの森駐車場(10台、無料)か、歓喜寺から。
ちなみに歓喜寺は徳川家光以降、歴代将軍から寄進を受けた由緒あるお寺らしい。

【写真の説明】
①やすらぎの森駐車場を登った所から見る城跡。背後は物見郭と思われる郭がある。
②七井土郭の堀切。城跡内へ。
③もう一つの七井土郭の堀切。他尾根からの侵入を防ぐ。
④七井土郭。祠が二つ。奥の祠には櫓があったと思われる。
⑤岩を削った堀切は500年後の現在もしっかり残る。
⑥⑤の堀切をくぐり別尾根の堀切を見る。
⑦観音堂跡。城郭内一の広さをもつ郭。居館跡などの重要施設があったと思われる。背後が主郭部。
⑧西側からの侵入を防ぐ二重堀切(分かりにくくてスミマセン)朽ちすぎている橋は通行禁止。

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