長部城

長部城([桜井城  周辺城郭])

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長部城の口コミ情報

2022年02月18日 国府左京大夫城介


江戸後期に大原幽学が庵を構えた地

【歴史】
松沢光胤(千葉六党の国分一族)が築城したと伝わる。築城年代は不明だが、鎌倉時代後期と考えられる。
松沢氏が9代に渡り居城としていたが、天正年間に里見義康に攻め滅ぼされたと伝わる。

天保6年(1835)、大原幽学(1797~1858)が長部城の跡地に庵を築いて、農村振興の活動拠点とした。
大原幽学は、尾張大道寺氏(大道寺政繁の次男の家系)の出身で、「先祖株組合」と呼ばれる農業協同組合を世界で最初に創設した人物です。しかし、農村の人の行き来を幕府に疑われ、先祖株組合の解散を命じられるなど、失意の内に自害してしまった。

【遺構】
桜井城から西2.6kmに位置し、標高40mの台地上に築かれている。現在は、大原幽学遺跡史跡公園として整備されている。
遺構は多少の改変はあると思われるが、土塁、空堀、櫓台、方形の曲輪が残っている。
また、大原幽学の旧宅、旧林家住宅などがある。

【感想】
大原幽学の里として整備されていますが、国の史跡となっているため、城址としてはかなり綺麗に整備されています。
この長部城の周囲は、西側を除き水田となっていることから、往時は湿地帯だったと推測できます。長部城の南側には喰い違い虎口が、東側は尾根を利用した高土塁と眼下を通る街道を監視するための櫓台が設けられています。また、西側には要害が訛った龍ヶ谷(ゆうがい)という地名もあり、方形の曲輪と西側を切断する空堀が残っています。
ここを治めていた松沢氏は府馬氏の一族であり、府馬城の南側を守る役目に加え、椿の海の北側にも位置し、府馬氏にとって重要な拠点であったと考えられます。

【アクセス】
小見川駅または旭駅からバス(千葉交通の府馬線)に乗車し、中和で下車し、徒歩18分。
車の場合は、大原幽学遺跡史跡公園の駐車場が利用できる。

【写真】
1:遠景(北側)
2:喰い違い虎口
3:櫓台
4:標柱
5:龍ヶ谷
6:空堀
7:大原幽学旧宅
8:旧林家住宅

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