阿知戸城

阿知戸城([桜井城  周辺城郭])

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阿知戸城の口コミ情報

2021年08月28日 【国替準備】国府左京大夫城介


信濃から下総に移封された木曽義昌の居城

【歴史】
天正18年(1590)に、徳川家康の関東移封により、その麾下であった木曽義昌も、信濃木曽から下総阿知戸(現・網戸)に1万石で移封された際に、築城された。義昌が没すると、嫡男の義利が跡を継ぐが、粗暴な振る舞いが多く、慶長5年(1600)に改易され、それに伴い、阿知戸城も廃城となった。

【遺構】
木曽義昌公の墓所がある東漸寺の境内が、阿知戸城の跡となっており、北から西にかけて、堀の跡が残っている。
境内には、木曽義昌・夫人(武田信玄の三女・真理姫)・木曽家代々の供養塔がある。
また、東漸寺から北西に、木曽義昌史跡公園があり、木曽義昌の水葬跡石塔がある。

【感想】
山国から海の近くに移封された木曽義昌が築いた城ですが、どちらかというと陣屋に近いです。遺構の多くは、土地の開発に伴い、消滅しており、唯一の遺構である堀の跡も激藪状態になっており、よく分からない状態です。しかし、周囲の道には折れがあるなど、城の形状を推測できる箇所は所々あります。
木曽義昌が移封された頃は、椿の海(江戸時代初期に干拓された)と呼ばれる湖があり、浮城みたいな状態だったようです。

地元では、木曽義昌をかなり信奉され、今でも「木曽さま」と呼ばれているようです。事実、阿知戸城がある、旭市の市名は、木曽義昌の祖先である「朝日(旭)将軍・木曽義仲」が由来になっています。しかし、木曽氏自体は、上野沼田氏(藤原秀郷流)だそうです。全く関係ないですね(笑) 武田家を裏切ったイメージが強い人物ですが、僅か5年ほどの統治だけで、後世まで慕われており、木曽義昌という武将のイメージがだいぶ変わりました。

【アクセス】
総武本線旭駅から徒歩で15分。

【写真】
1:東漸寺入口
2:木曽義昌・夫人・木曽家代々の供養塔
3:北側の堀
4:堀(やや藪が薄く辛うじて堀の深さがわかる?)
5:水葬跡石塔
6:木曽義昌公石像

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