大友城
大友城([桜井城 周辺城郭])
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大友城の口コミ情報
2022年03月11日 国府左京大夫城介
千葉氏の祖である平良文の居城
【歴史】
千葉氏の祖である平良文が天慶3年(940)に、相模の村岡からこの地に来て築城したと伝わる。
平良文の孫である忠常が起こした長元の乱では、忠常はここを拠点にしていたとも伝わる。
その後、忠常の曾孫である常兼(千葉氏初代)が、大椎城に移るまで居城としてたという。
廃城となった年代は不明だが、遺構の形状から戦国時代には利用されていなかったと推測される。
【遺構】
桜井城から北西2.1kmに比高30mの舌状台地に築かれている連郭式の城郭。
政所台と遠所台と呼ばれる二つの大きな曲輪で成り立っており、その急斜面には腰曲輪や、井戸の代わりとなる金明水・銀明水と呼ばれる湧水がある。遠見台の南東には兵岬と呼ばれる小さな物見台がある。麓には小姑屋敷、鍛治屋敷と呼ばれる場所がある。
また、政所台には、大正9年に地主が建てた石碑(政所台墳墓供養之塔)がある。
【感想】
平良文の居城と伝わるだけあり、かなり古い形態のお城です。そのまま地形を活かして、大きな曲輪として利用しており、明確な土塁や堀などの防御機構は見当たりませんでした。もしかするとあったのかもしれませんが、城内は完全に畑となっているため、その際に壊された可能性も否定できません。
金明水や銀明水、腰曲輪に関しては、急斜面な上、藪によって足元がよく分からないので、未確認です。
実際にここに平良文がいたかどうかは不明ですが、かなり古い感じのする地名として残っている政所台や遠見台などからそれなりの人物が在城していた可能性は高そうです。
【アクセス】
下総橘駅から徒歩で1時間。
桜井城から徒歩で30分。
駐車スペースはないので、路駐するしかないと思われる。
【写真】
1:遠景(南側)
2:政所台
3:政所台にある石碑
4:遠見台
5:鍛治屋敷