塙城
塙城([前林城 周辺城郭])
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塙城の口コミ情報
2025年04月02日 マグロ常陸介祐平
大須賀氏の本城である松子城を囲む支城群の1つで、松子城から北東に僅か500mに位置します。城主は塙丹波守の可能性があるようです。麓にある宝応寺(写真4枚目)は大須賀宗家歴代の墓がある菩提寺で、20代当主の大須賀政氏は、江戸時代になるとこのお寺に居住したとされているようです(千葉一族のサイト参照)。
お城には、宝応寺すぐ北から切通しを登ります(写真2,6,7枚目)。登りきった所から細い平坦な道(写真3枚目,倒木多い)を北に進むと耕作放棄地のようなやや広い削平地となります。途中に堀切などはありませんが、この削平地が本丸のようです。本丸を囲む土塁などは見られませんが、北側には塚(写真8枚目,古墳?)があり、2つの小さな石の祠が祀られています。右側の祠には「塙丹波神 八幡宮」(写真1枚目)と彫られており、城主とされる塙丹後守が祭神として祀られてることがわかります。
余呉さんの縄張り図を見ると、さらに奥には複数の曲輪があるようですが、激薮(写真7枚目)の為断念しました。
宝応寺には、大須賀氏の墓、中野城主木内壱岐守の墓の他にも神保氏張と子の氏長のお墓があるようです。氏張は能登七尾城主畠山義隆の子とされ、越中の豪族神保氏の養子に入ったとされており、織田信長の妹を妻とし、戦場で早世した子の氏則は佐々成政の娘が妻で、氏張の妹は長連龍に嫁いでいます。主君の佐々成政切腹後は浪人するも、後に家康に仕え、周辺に二千石を与えられたことから宝応寺を墓所としたようです。当日は墓地を探索しましたが、神保氏の墓があることを知らず、スルーしてしまいました。再訪したいお寺です。