大戸城

大戸城([大崎城  周辺城郭])

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大戸城の口コミ情報

2026年08月12日 マグロ常陸介祐平


国分氏初代胤通の子の大戸四郎大夫親胤のお城と伝わるようです。また、天正時代の末期には同族の大須賀氏の一族が居城したともされるようです。軍記物の「東国戦記実録」には、天正9年(1581年)11月に千葉勢がこの城に立てこもり、栗林・土岐の両勢と激しく攻防戦を展開したことが記されているようです。

地福寺入口の一段上で農作業をされていた方にお城について尋ねると、「ここは城ノ口と言って城の入口だが、昔は行けたと思うけど、いまは薮で行けないよ。行けても何も残ってないよ。」とのことでした。墓地まで進むとその先は竹藪となり、入ってみると空堀らしきが見られます。30m程で竹藪を抜けると細尾根に堀切状の地形が見られますが、先程の空堀らしきは、台地の下に向かって降っていきます。空堀状のものは、おそらく堀ではなく台地の麓から墓地に至る廃道と思われます。細尾根の先は台地の先端で、やや削平の甘い狭い郭状の空間となります。堀切状の場所から台地を降ると、地福寺の歴代住職の墓付近に出ました。縄張り図と一致しないと思いながら探索しましたが(余呉さんのものを拡大して保存したもの)、後から調べたところ、お城は北に伸びる尾根を利用したもののようで、どうやら場所が異なっていたようでした(余呉さんも1度目の探索では同じ場所をまわったようです)。地元の方も場所をわかっていなかったのか、教えてもらった場所も城域なのかはわかりませんが、主郭とされる場所にも遺構はほとんど見られないようです。

地福寺は鎌倉時代初期に国分氏により創建されたお寺で、境内には沢山の板碑が見られます。その内2基は正元元年(1259年)の物で、千葉県の文化財に指定されています。1基には姓が見られますが、国分氏の平姓ではなく、丹治姓となっており板碑からは国分氏との繋がりはみえません。

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