岩富城
岩富城([根古屋城 周辺城郭])
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岩富城の口コミ情報
2025年01月20日 マグロ常陸介祐平
文明4年(1472年)、千葉氏の重臣原氏の一族で弥富原氏の3代目原景広が築城したと伝わるようです。天正18年(1590年)の小田原の役後の家康の関東入部の際に北条氏繁の子の北条氏勝が、玉縄城で家康に降伏後、下総方面の北条方諸城の開城説得の功績により、1万石を与えられ岩富藩が成立しています。養子で保科正直の子の氏重が下野富田に転封となり、岩富城は廃城となっています。氏重はその後、無嗣断絶となりますが、氏勝の実弟で養子となった(重臣の反対で家督を継げず)、繁広の家系が旗本として存続しています。
お城は、台地全体が城域だったようですが、今残る明確な遺構は、台地中央を通る道の西側には独立した郭が2つとなっています。北側の主郭は五角形で土塁や土橋や虎口(写真1,2,7枚目)、深さのある空堀(写真3枚目)が見られますが、先陣様の口コミ通り神社地ではありますが、遺構は薮が多く見やすい状態ではありませんでした。南側の郭は民家の南から西側にかけて残っていますが、民家ということもあり近ずいて見ることができません(写真5枚目)。おそらくですが、この2つの郭が北条時代のお城で(1万石なので)、台地中央の道が城下町の名残のような感じではないでしょうか。
氏勝はこの地で亡くなっており、北に5km程離れた菩提寺の宝金剛寺に埋葬されたようですが、墓石などは不明となり、平成23年に再建されています(写真6枚目)。また、氏勝に寄進された袈裟やお椀など3点が令和5年に千葉県の文化財に指定されています。
2022年10月17日 国府左京大夫城介
岩富藩主・北条氏勝の居城
【歴史】
文明4年(1472)に、千葉氏の重臣・原氏の一族である原景広が弥(岩)富の地に築城し、その子胤行(弥富原氏)が城主となった。
天正18年(1590)に、小田原征伐により千葉氏と共に弥冨原氏が滅びると、徳川家康に降伏し家臣となった北条氏勝(北条綱成の孫)が、この地に一万石で封ぜられた。慶長18年(1613)に、氏勝の養子である氏重が、下野富田に移封されると、岩富藩は廃藩となり、廃城となった。
【遺構】
根古屋城の北西2.9kmに位置し、標高30m(比高20m)の台地に築かれている。
現在は浅間神社の境内となっているが、曲輪、土塁、空堀、土橋が残る。また、台地の所々にかつての城跡の名残が残っているという。
【感想】
空堀と土橋はかなりよく残っているのですが、如何せん藪が凄すぎて、写真映りは最悪です(-_-;) さらに神社の境内だというのに藪だらけの上、あまり人が来ないのか、参道に蜘蛛の巣が張っている状態でした。藪を刈れば、それなりに見栄えのするお城だと思うんですが…
台地全体がお城であったらしく、所々遺構が残っており、南側の郵便局付近に空堀らしき跡が残っています。
【アクセス】
佐倉駅からレンタサイクルを使用して、約30分。
【写真】
①遠景(北側から)
②説明版
③登城口
④土橋と空堀
⑤主郭
⑥土塁
⑦郵便局近くにある空堀(畑の辺りが僅かに凹んでいる)