権現山砦
権現山砦([米本城 周辺城郭])
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権現山砦の口コミ情報
2025年10月22日 マグロ常陸介祐平
文明11年(1479年)に太田道灌が米本城(臼井城という説もあるそう)を攻めた際に陣を張ったとされます。陣城ですね。米本城からは新川を挟んで南西に1km強の距離です。太田道灌は守り本尊である十一面観音菩薩に、戦勝したらこの地に埋めると祈願し、勝利したので陣の北東に埋めて引き上げます。江戸時代に入り、元和8年(1622年)になると白狐が17日間泣き叫んだ後に、村人に向かって「我は飯綱大権現、道灌の埋めた観音像を掘り出して再誕させれば一切衆生を済度する」と神託し、村人は掘り出して神社の裏に御堂を建て(現在はない)、像を安置したと伝わります。発掘調査(権現後遺跡)では、旧石器時代から近世までの複合遺跡であることが確認されていますが、中世以降のものとしては、近世の土坑や溝、年代不明の溝が見つかったものの、明確に城郭のものとは判断されていないようです。
砦は、台地の先端に位置しており(写真5枚目)、北側の入口は坂虎口風(写真1枚目)、境内北東部には土塁状の土盛り(写真3,4枚目)、北東には腰曲輪的な削平地(写真2枚目)が見られます。
飯綱神社の拝殿・本殿は明治22年の建築ですが、文化11年(1814年)に建てられた鐘楼は、廃仏毀釈を免れた神仏混淆時代のもので、見事な建築物です(写真6枚目)。









