青菅陣屋
青菅陣屋([米本城 周辺城郭])
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青菅陣屋の口コミ情報
2025年01月05日 マグロ常陸介祐平
江戸時代初期の旗本、川口宗勝の陣屋です。称念寺付近が跡地のようですが、遺構は見当たりません。
川口宗勝は、それほど知名度が高くはありませんが、面白い経歴を持つ武将です。川口家は、祖父の代から織田家の家臣ですが、宗勝は父の宗吉の反対で当初織田家には仕えず、柴田勝家に仕え、後に信長の直臣となり尾張沓掛城主として1万3000石を賜り、信長の死後は信雄に仕えます。その後豊臣秀吉に仕えて1万8000石を領しています。関ヶ原の合戦では、西軍として参戦して伏見城攻めに加わり(寛政譜では「石田三成が反逆にくみし」と表現)、敗戦後は高野山に登り、後に伊達政宗に預けられています。普通の武将ならこれで終了ですが、ラッキーなことに家康と祖母(華陽院)が同じ又従兄弟の関係にあることから許されて、慶長11年(1606年)秀忠から2500石を賜り青菅に陣屋を築いています。元禄11年(1698年)に五代目の宗直が安房国藤井に所領替えとなり、陣屋は廃されたようです。
宗勝のお墓は、寛政譜では陣屋から東に200m程の正福寺となっていますが、何故かこのお寺ではなく青菅小学校の敷地内にある大塚という古墳状の塚が宗勝以降の四代のお墓とされています。旗本のお墓としてはかなり珍しい形式です。