富氏屋敷・船橋御殿(船橋東照宮)

富氏屋敷・船橋御殿(船橋東照宮)([船橋城  周辺城郭])

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富氏屋敷・船橋御殿(船橋東照宮)の口コミ情報

2020年12月06日 山内侍従伊右衛門俊胤
慶長19年(1614)、天下をほぼ手中に収めていた徳川家康は東金へと鷹狩りに出かけた。その際に東金御成街道が整備され、その街道沿いの船橋の地に船橋御殿が関東郡代伊奈忠政家来、遠山群太夫・根岸助太夫の手によって造営された。

御殿の場所には元々富中務大輔基重の邸宅があったとされ、それを基に御殿が造られたという。

慶長19年時点では東金御成街道が完成しておらず、家康が船橋御殿を利用したのは大坂の陣後、元和元年(1615)11月の鷹狩りの行きと帰りの2回のみだったという(ちなみにこの鷹狩りの折、船橋で火災が起った。この時家康は何者かに鉄砲で撃たれたが、富氏が救ったという伝承が地元に残されている)。その後、船橋御殿は秀忠が10回、大納言時代の家光が1回利用した。寛永7年(1630)12月以降東金での鷹狩りは行われず、寛文11年(1671)4月には船橋御殿は取り壊された。貞享年間(1684~1688)に富氏に払い下げられ、畑地となった。

富氏は御殿跡の中心部に家康を祀る東照宮を建立したと伝えられており、この東照宮は安政4年(1857)の再建、昭和2年(1927)の修繕を経て、現在も日本一小さな東照宮として同地に残っている。

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