光雲山了源寺
光雲山了源寺([船橋城 寺社・史跡])
船橋城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:寺社・史跡)、「光雲山了源寺」の地図・口コミがご覧頂けます。
※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
[大きい地図で開く]
光雲山了源寺の口コミ情報
2020年12月06日 山内右兵衛佐伊右衛門俊胤
寺伝によると永禄8年(1565)に伝翁(俗名は藤原匡親)が北条氏政に土地を寄進され創建したという。藤原匡親は藤原北家日野流の日野内光の子で、足利義輝に仕えていたが「永禄の変」で主君を失い関東に下向したという。石山合戦に本願寺側として参加していたともされ、関東に下向したのは講和後の天正8年(1580)とも云われる。
境内の鐘楼堂は享保年間(1716~1736)に幕府が大砲の試射を行った台座跡であり、幕府から「時の鐘」として公許され、明治4年(1871)の廃止まで時報として機能していた。
境内には旧幕軍として戊辰戦争に参加し、28歳で戦死した菅野銃亮源元資の墓が現存している。