柴崎城

柴崎城([我孫子城  周辺城郭])

我孫子城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「柴崎城」の地図・口コミがご覧頂けます。

「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。

柴崎城の口コミ情報

2026年04月07日 マグロ常陸介祐平


東国闘戦見聞私記(皆川広照の口述を元にしたとされる軍記物)によると永禄4年(1561年)に一色氏の小文間城を攻めた武将として柴崎城主荒木三河守の名が見られることから、東葛飾郡誌では荒木氏を城主とし、配下に柴崎氏がいたとするようですが、本土寺の過去帳に永正2年(1505年)中相馬柴崎八郎四郎、永正3年に中相馬柴崎右馬五郎の名前が見られることから、我孫子市史では柴崎氏が城主と考えるのが妥当としています。ただし柴崎氏に関してはそれ以上の資料もなく、忽然と現れ、忽然と消え去った出自不明の謎の氏族としています。

約500m程西の同一台地上に鎮座する柴崎神社(写真3,4枚目)は元の名称を妙見社といい、平将門の祈願所とされています。年代は不明ですが柴崎左馬督が社殿を修築、その後、荒木三河守は永禄4年に社殿を修復し天正元年に刀を献納したと伝わるようですので、相馬一族の柴崎氏から荒木氏(近隣にある新木城の相馬一族の新木三河守と同一人物?)に城主が変わったようにも思えます。

お城は我孫子第三小学校付近の半島状の台地に築かれていましたが、台地そのものが造成により削平されており、遺構は残っていません(写真1,2枚目)。縄張りは、東西堀に囲まれた2つの曲輪で構成され、土塁も見られたようです。

お城とは話がそれますが、柴崎神社に寛文11年(1671年)に当地に知行地を与えられた新見弥一郎正徳は弓一張を進献し、境内の御墓山は元は墓所であったと我孫子市史に見えます。隣接する元別当寺の円福寺にには、旗本新見氏の墓がありますが(写真5~7枚目)、墓碑を見ると、廃藩置県後に新見氏は江戸から知行地の名主川村氏宅に移り、その際に墓石を江戸(佐野政言と同じ徳本寺?)から御墓山に移し、さらに区画整理により円福寺内に移動したと刻まれていました。我孫子市内に知行地を持つ旗本は多くいたようですが、管理は名主に任せ、陣屋を置くものは無かったとされているようです。

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore