国分館
国分館([国府台城 周辺城郭])
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国分館の口コミ情報
2025年11月14日 マグロ常陸介祐平
千葉介常胤の5男、五郎胤通がこの地を領して国分を名乗りました。下総国分寺(写真1,2枚目)が館跡とされます。源平の合戦では、父常胤と共に範頼の軍勢として戦い、続く奥州合戦や畠山重忠の乱にも参加しています。後に御家人として香取神宮神領の地頭になると、そちらに移ったとされます。国分の地は、長男とされる弥五郎時通が継ぎますが、子が無かったようで、妻が地頭を継ぐと、その後は途絶えてしまったようです。香取神社の周辺を相続した胤通の次男常道(大戸)や6男常義(矢作)の系統は、後に国分を名乗り、戦国期まで続いています。また、奥州国分氏も胤通の子孫とされますが、確証はないようです。
下総国分寺は、台地の縁に位置しており、立地的には城郭に適しています(写真3~6枚目)。立ち入ることはできませんが、庫裡の裏側に土塁が今も残るようです。また、北国分の市川市歴史博物館や考古博物館のある台地も「堀之内」の地名で、胤通の館の推定地とされますが、歴史博物館の職員さんに尋ねたところ、学芸員さんはここ(堀之内貝塚公園,写真7枚目)は城址ではないと言ってますよとの回答でした。千葉情報マップでは、北国分駅東側の彦八山遺跡から堀や溝が検出されているようですが、こちらが堀之内の該当地でしょうか。
国分寺の境内には、胤通の供養塔と伝わる宝篋印塔が二基並んでいますが(写真8枚目)、明徳4年(1393年)と応永5年(1398年)のもので、銘文も無関係のようです。









