藤ヶ谷城
藤ヶ谷城([佐津間城 周辺城郭])
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藤ヶ谷城の口コミ情報
2024年08月27日 マグロ常陸介祐平
国道16号線藤ヶ谷交差点付近が城址となります。交差点の北側、香取神社(写真5,6,7枚目)はやや高台になっており、標柱(写真4枚目)には「中世藤ヶ谷城の一部」と書かれています。西側には、土塁状の土盛りが2箇所(写真2,8枚目)、南側には相馬氏の墓(江戸時代~現代)と裏の林には薄めの土塁状の土盛り(写真1枚目)が見られます。香取神社の高台と残欠状態のそれぞれの土盛りの方向はバラバラで、どれが遺構でどのような縄張りなのかは、不明です。
高城氏の家臣に藤ヶ谷氏があり、記録として明応年間に藤谷修理介、永正3年に藤ヶ谷主馬介、永禄7年に国府台合戦の侍大将藤谷修理、天正18年に小田原籠城藤谷修理、江戸時代に入り慶安期に旗本高城胤重より藤谷修理と(この間100年以上)、修理の官途を数代にわたり世襲した藤ヶ谷氏が城主と思われます。また、守谷市大木の大円寺は、藤ヶ谷城主の相馬源三郎胤吉が天正年間に堂宇を修理し刀を奉納したと伝わることから、相馬氏が在地名の藤ヶ谷を名乗ったように思えます。
お城から400m程北にある持法院は、千葉常胤が運慶に彫らせたと伝わる如意輪観音像(柏市文化財)が安置される相馬氏と関係の深いお寺(館跡とも伝わる)で、観音堂裏には江戸時代以降の相馬氏の墓石群、本堂の北側には新しい平将門の供養塔(写真3枚目)が建ちます。