曾我野陣屋
曾我野陣屋([生実城 周辺城郭])
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曾我野陣屋の口コミ情報
2026年03月30日 安房守かんむり座T星
再度の現地。たぶん5年前だったかと思いますが、周囲に住宅がものすごく増えましたね。水も漏らさぬ攻城っぷりにビックリです。
2025年07月13日 ラッセル下総守【鱗】栗太郎
蘇我駅西口から南へ15〜20分くらい歩きます。現在、畑になっていて、遺構は残っていませんでした。
江戸時代末期の慶応2年(1866)、戸田忠至は宇都宮藩主戸田忠友から同藩の1万石を分与され、大名(高徳藩・宇都宮藩の支藩)となった。その領地は下野国と河内国に点在していた。
跡を継いだ忠至の子忠綱は、明治2年版籍奉還により高徳藩知事に任命されたが、翌年下総国千葉郡・印旛郡内18ヶ村に転封を命じられ、曾我野藩が成立した(このとき曾我野村に藩庁を置いた)。
その後明治4年7月の廃藩置県により曾我野県と改称し、同年11月には印旛県に組み込まれた。
2023年01月08日 寺蔵人頭にゃん
遺構が無いのが残念。近くの八幡神社も移転したのか礎石しか残ってない。寂しい。
2022年08月30日 ファン掃部助トム治郎
蘇我駅から浜野駅までの散歩中に立ち寄りました。房総往還から少し入ったところ、住宅の脇から小道がとおっています。
2017年07月14日 山内右兵衛佐伊右衛門俊胤
曽我野藩は明治3年から廃藩置県まで1年程存在した藩。藩主は戸田忠綱。忠綱の父忠至は下野宇都宮藩の家臣であったが、天狗党の乱の折、結託を疑われた藩を救い、その功で分与されて高徳藩を興した。忠綱は即位間もない明治天皇の馬術指導をしていたが、父の隠居により藩を継いだ。明治3年曽我野藩知事に任じられ、曽我野陣屋に移ったが、廃藩置県により免官される。その後の人生について詳しい事は不明だが、明治15年に家督を長男忠義に譲り、隠居、大正11年に此の世を去り、現在は父や祖先とともに東京の谷中霊園に眠る。
2017年07月14日 山内右兵衛佐伊右衛門俊胤
陣屋の位置は、解説では八幡公園となっているが、正確には其処より更に東の畑地にあったとの事である。どちらにせよ、昔の曽我野の村の南の外れにあり、急拵えで造ったことが分かる。一年程しか存在しなかった為か遺構らしきものも、名残と呼べるものも見当たらなかった。ただ、八幡公園の社は明治末期の地図に載っていた。村の入り口なのか、陣屋に関する物なのかわからないが、歴史のある物には違いない。









