南小弓城
南小弓城([生実城 周辺城郭])
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南小弓城の口コミ情報
2026年07月14日 ᴿᴱᴰ副将軍
小弓公方足利義明の御所跡🏯
オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。文明年間(1469年〜1487年)に原氏により築かれたと云われます。
原氏は千葉氏の庶流とされ、千葉満胤の四男である千葉高胤が下総国香取郡原郷を領して原四郎と称したのが始まりとされます。
その後、原氏は千葉宗家の筆頭家老として宗家を支えた重臣です。
生実城とともに里見氏に対する最前線として重要な支城であったとされます。
1518年、原胤清は真里谷城の真里谷信清の支援を受けた足利義明により南小弓城を奪われます。足利義明が南小弓城に入り、小弓公方と自称して古河公方に対抗。
真里谷信清が逝去すると真里谷氏の内紛が勃発。足利義明は内紛に介入し、庶長子で後継者であった真里谷信隆を追放し、嫡男の真里谷信応を擁立します。
追放された真里谷信隆は北条氏と結び敵対。
1538年、足利義明は国府台に出陣し北条氏綱と戦いますが敗れて討死。(第一次国府台合戦)
北条氏方の原氏は領地を戻し、生実城を本拠地とし、南小弓城は支城となったと考えられます。
見所
生実城から南側に1km離れた台地の南東端上に築かれていたとされます。
現在は耕作地や民家となり遺構は消失し僅かに土塁が残るのみで、墓地に案内板と石碑が建っています。
また、墓地から北へ200mほどの耕作地の中には「小弓城と森台貝塚」の碑が立っています。
2025年11月24日 ラッセル上総介【】栗太郎
以前は小弓公方・足利義明の城と言われていましたが、知らない間に否定されていました😰
現在は墓地になっていて、墓地の中に説明板がありました。
南側が開けているので、原氏の時代に南側(里見氏など)を監視するため物見として使われていたのかもしれません。
最近、近くで発掘調査をしていたので今後何か分かるかもしれません。
2023年05月28日 マグロ常陸介祐平
以前は小弓御所に比定されていたようですが、現在は否定的に考えられているようです(説明板の内容が最近変わったようです)。
主郭(古城)は墓地となっており、写真の説明板が有るのみですが、城域は広く、僅かな遺構が点在しているようです(残念ながら見れてません)。
とにかく周辺の道路が狭く、対向車にも遭遇して大変でした。訪問される方は、ご注意ください。









