立川宮内少輔館
立川宮内少輔館([立川氏館 周辺城郭])
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立川宮内少輔館の口コミ情報
2024年10月31日 いれぶん[⭕️雁雁]
『新編武蔵風土記稿』に天正以前に立川宮内少輔一族の館があったとされています。寺の創建は寛永元(1624)年三月万松和尚によるものです。
江戸時代の寺の平面図に「土手」と称する土塁があると記されていますが、寺の正面側(東側、図面の下側)にある高さ1m程の土盛の位置がちょうど符号しますが、北面西面にはなにも残っていません。南側の崖の高さや参道にあたる部分が横矢掛りとなっている辺りに、領主館防衛の雰囲気がある程度です。
"宮内少輔"が誰になるのかもはっきりしません。立川宮内少輔宗恒は普済寺の開基で知られますが1363年に亡くなっていて少々古く、天正の頃は立川照重が当主で娘の禰々が八幡神社に仏像を奉納していますが、"宮内少輔"だとする文書がありません。不明点だらけですし、館だとした場合の城域も不明です。
立川氏は北条氏没落後、氏照家臣中山氏が家康により水戸家臣に取り立てられた事で声がかかり、水戸に移住しています。