広福寺

広福寺([立川氏館  寺社・史跡])

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広福寺の口コミ情報

2024年10月29日 いれぶん[⭕️雁雁]


武田家臣から徳川家臣となり、家康の領地替えに伴ってこの地を知行した内藤氏の墓があります。同じ武田家臣である千人同心達と異なり直参旗本になります。

北条氏照管轄地の旧武田家臣と言いますと、松姫従臣や大久保長安及び千人同心が有名ですが、氏照家臣となり八王子の街づくりに貢献した長田作左衛門や、同じく氏照家臣(平山氏重家臣とも伝えられる)として引田村の地を与えられて八王子城に散ったとされる志村肥前守景元、仲間の嫡子を保護して八木町に庵を持つ八木源左衛門が挙げられます。内藤源左衛門正頼と彼らに交流があったのか、歴史が気になるところです

各所に三つ鱗が有りますが、臨済宗建長寺派はそもそも鎌倉北条由来ですから、小田原北条とは無関係かもしれません

現地周辺を確認して思うのは、この地は南・西に川(水路)が流れる舌状大地を成していて(赤状立体図参照)、北に堀切か土塁が有れば土豪・領主の本拠地に適切だと言う事。福島氏の居宅が寺北側の駐車場辺りに有ったのかも知れないロマンを楽しみました

金峰山廣福寺概要
〈所在地〉
東京都昭島市福島町二丁目十四番七号
〈宗 派〉
臨済(禅)宗建長寺派〈本山〉大本山建長寺(鎌倉市)
〈本 尊〉
十一面観世音菩薩木座像(江戸前期作)
〈安置仏〉
釈迦如来木座像(室町前期作)・地蔵菩薩木座像(室町前期作)
〈開 創〉
南北朝時代 貞治二年(一三六三) 創建と伝う。
〈開 山〉
直庵啓端大和尚禅師(建長寺第一一九世・普済寺第三世)。本寺立川普済寺開山真照大定禅師物外可什大和尚(建長寺第三十七世)の高弟。応永十八年(一四一一)十二月一日没。
〈開 基〉
福島宗心大師(信女とも)。福島氏は南北朝時代の当地の豪族で、寺伝によると、当山はその氏寺として建立されたという。宗心はじめ一族の墓塔とされる宝篋印塔が今も数基残存する。
〈中興開基〉
内藤源左衛門正頼(正久とも)。元和八年(一六二二)没。法名仁德院殿力誉空勢大居士。江戸時代初頭、荒廃した当山を再興した。なお、内藤氏は甲斐武田家旧臣、江戸時代には徳川将軍家に仕えた直参旗本で、代々福島村を知行地とした。当山の大檀那で、累代の墓碑がある。
〈本 堂〉
平成十八年四月、客殿·庫裡・山門とともに再建。
〈鐘 楼〉
享和三年(一八〇三)建立。<梵 鐘〉昭和三十八年再鋳。享和三年鋳造の旧鐘は昭和十九年、戦時供出。
〈文化財·その他〉
一、市指定天然記念物「広福寺の大松」 樹龄五百年のクロマツ。
一、市指定旧跡「内藤源左衛門正頼(正久)の墓」 江戸時代福島の二代目領主の墓。板石を用いた板碑形近世墓として貴重とされる。
一、広福寺台遺跡 段丘崖上の墓地一带が縄文時代中期、奈良·平安時代の複合遺跡。縄文土器・石器・住居跡はじめ、奈良時代の鉄製直刀などが出土している。
一、古什宝 半鐘、大涅槃図、古過去帳、内藤家先祖書・遣品(武具・絵画等)、当山絵図面、近世文書類などが伝来。
一、境内石造物 中世の板碑、近世の庚申塔をはじめ、馬頭尊、富士講記念碑(明治時代)、戦没者慰霊碑、百体地藏尊、六地蔵、三界・万霊地蔵、閻魔大王、釈迦如来、聖観世音菩薩、東門門柱頂きの毘沙門天・不動明王など、新旧さまざまなものがある。
一、大賀博士の二千年蓮 昭和四十一年、緑あって府中市内より当山に分根、毎年七〜八月の早朝開花する。
住職謹誌
(説明看板全文)

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