性翁寺

性翁寺([宮城氏館  寺社・史跡])

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性翁寺の口コミ情報

2022年02月23日 山内侍従伊右衛門俊胤
神亀3年(726)、行基が開いた庵に始まるとされる。六阿弥陀の足立姫伝説に登場する足立姫の父足立庄司宮城宰相の屋敷傍に創建されたという。
江戸時代に後北条氏旧臣である阿出川対馬守貞次によって再興され、慶安元年(1648)には3代将軍徳川家光から朱印地10石を与えられた。

江戸時代、寺社の巡礼を名目とした旅行が庶民の間で流行した。伊勢参りが有名であるが、江戸近辺を廻る小旅行も流行し、中でも女性に人気となったのが「江戸六阿弥陀巡り」である。現在の東京都足立区西部と北区を中心とした寺社巡りで、奈良時代の「六阿弥陀伝説」を基としている。

「神亀2年(725)、足立庄司宮城宰相の娘足立姫が、嫁ぎ先での生活を苦にして下女12人と入水した。一人娘を失った宮城宰相は悲しみのあまり諸国廻行の旅に出て、熊野権現にて霊木を授かった。海に投げ入れると霊木は宮城宰相の故郷に流れ着いた。諸国行脚中の行基がこの霊木から6つの阿弥陀仏を彫り、近隣の村に安置して13人の女性の菩提を弔った。」以上が「六阿弥陀伝説」である。この伝説から江戸時代に女人往生の御利益があるとされ、また江戸庶民にとっては近場である事も助けたのか、「江戸六阿弥陀巡り」は人気を博して昭和初期まで遠方からの参拝者も多く訪れたという。
 
さいたま市にある大戸地蔵堂所蔵の『地蔵菩薩坐像台座銘』には「宮城美作守平朝臣正重」が「性翁道活信士」夫婦の追善の為に作られた旨が記述されており、「性翁」という名が性翁寺との関連を疑わせる(『戦国足立の三国志』)。作られたのは天正19年(1591)又は20年(1592)と見られ、美作守正重は『寛政重修諸家譜』に見られる四郎兵衛泰業の3男正重と同一人物とみられる。

「寛政譜」の記述に沿うと正重は天正19年(1591)時点で7歳という事になり、元服していたとは考え難い。「寛政譜」は宮城氏の初期の系譜について疑わしい点があり、正重という人物自身も忠長改易事件に巻き込まれている事からも、この辺りの宮城氏の系譜に混乱があるのではないかと考えられる。

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