妙亀塚
妙亀塚([石浜城 遺構・復元物])
石浜城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:遺構・復元物)、「妙亀塚」の地図・口コミがご覧頂けます。
※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
妙亀塚の口コミ情報
2019年06月30日 山内右兵衛佐伊右衛門俊胤
―梅若伝説―
「平安時代、吉田小将惟房の子梅若が、信夫藤太という人買いにさらわれ、奥州へつれて行かれる途中、重い病にかかりこの地に捨てられ世を去った。我が子を探し求めて京よりこの地まできた母は、隅田川岸で里人から一年前の梅若の死を知らされ、髪をおろして妙亀尼と称し庵をむすんだ。貞元2年(977)のある日、妙亀尼は門前の池に梅若の亡霊をみた。妙亀尼は池に身を投げた。」室町時代に作られた能「隅田川」の基となった梅若伝説である。妙亀尼が庵をむすんだ場所こそが、後に武蔵千葉氏の菩提寺となる総泉寺となったとも言われている。総泉寺の開基は千葉介とされ、創建は建仁元(1201)年2月、千葉氏中興の祖・千葉常胤の死の直前である。当時の石浜は江戸氏の支配下に置かれていたとみられ、本当に千葉氏による創建かは不明である。石浜には梅若伝説に関連していると考えられる妙亀塚や、妙亀尼が身を投げた鏡ヶ池(現在は消滅)があった。又、対岸に渡ると梅若丸を供養するために建てられた庵を起源とする木母寺に梅若塚がある。