源頼朝歌碑
源頼朝歌碑([石浜城 碑・説明板])
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源頼朝歌碑の口コミ情報
2019年06月30日 山内右兵衛佐伊右衛門俊胤
―源頼朝の隅田宿―
「治承四年(1180)十月小二日辛巳。頼朝公は、千葉介常胤、上総介廣常等が用意した船に乗って太井川、墨田川を渡った。・・・(中略)・・・頼朝公の乳母で故八田武者宗綱の娘(寒河尼)が末子を連れて『墨田川の宿泊所』へ来た。頼朝公は直ぐに御前に呼び昔の思い出を話し合った。寒河尼は息子を頼朝公の近侍にして欲しいと望んだ。そこで、その子を呼び出し、直接烏帽子親になって加冠し元服をさせた。名を小山七郎宗朝と名付けた。宗朝は数え年十四歳である。」
吾妻鏡にて後の結城氏初代・結城朝光が源頼朝に初めて謁見した話である。この謁見した場所というのが『墨田川の宿泊所』で、石浜神社付近にあったという。
頼朝はその後、文治5年(1189)にも石浜神社を訪れ、奥州征伐の戦勝祈願を行い、征伐後に社殿を造営している。後世に造られた石浜城の場所もはっきりとしない状況で、頼朝の宿泊所が何処にあったかなどは分かり様がないが、少なくとも石浜神社とその周辺に、頼朝を迎えられるほどの施設があった事は分かる。それなりの備えもしていたであろうから、後の時代にも度々出てくる石浜の拠点の原型となったのかも知れない。
弘安4年(1281)には、元寇の調伏祈願のために朝廷より供物が奉納されたと伝えられており、そうした事もあってか、鎌倉時代には寺社仏閣が多く建造された。