豊島若宮八幡社

豊島若宮八幡社([豊島氏館  寺社・史跡])

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豊島若宮八幡社の口コミ情報

2021年04月14日 山内右兵衛佐伊右衛門俊胤


豊嶋次郎
豊島若宮八幡社は乗馬の稽古中に誤って荒川に落ち早世した清元の子、豊島清泰の霊を祀るために創建されたという。豊島清泰の名は豊島氏に関する系図・文献には記載が無く、伝説上の人物とされている。様々探してみると、宮城県登米市登米町寺池道場にある桁淵山龍源寺の過去帳に清光の子供についての記載がある事が分かった(萬年一氏の『関東葛西氏と奥州葛西記』より)。過去帳によると清光には4男2女がおり、長男清康・次男太郎朝経・三男三郎清重・四男四郎重元・一女足立宮内少輔室(六阿弥陀伝説の清光娘)・二女不明となっている。清康は早世したとあり、若宮八幡社の伝承と重なる。

一方、『桓武平氏諸流系図』には清元の4人の息子「豊島左衛門尉有経」「葛西三郎清重」「箕田(笑田?)四郎有光(元?)」「豊島五郎家員」が記載されているが、「次郎」にあたる人物が記載されていない。

『源平闘諍録』には武蔵国豊島庄滝野川に到着した頼朝の元に「豊嶋次郎成重」なる人物が馳せ参じている。しかし次郎成重が登場するのはこの場面のみで、実在の人物かどうか疑問が残る。

系図には吾妻鏡でもその存在が確認できない有光・家員まで記載されているのに、清元の次男にあたる人物が記載されないというのは不思議な話である。だが若宮八幡社の伝承が事実であり、早世した清泰が次郎成重と同一人物であったとすれば、系図に記載が無い事にも次郎成重の記述が『源平闘諍録』の一ヵ所のみである事にも納得がいく。もしくは龍源寺の過去帳にある様に長男の清泰が死去したために、次男の次郎有経(=朝経?)が「太郎」と名乗る事になった可能性もある(「次郎成重」とは有経の事を指している?)。

神社から260mほど南には清泰を祀った駒塚という塚があるそうなのだが、調べてみても詳しい位置が分からず、そもそも現存するのかどうかも分からなかった為、捜索は断念した。

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