岩渕の渡し

岩渕の渡し([稲付城  その他])

稲付城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:その他)、「岩渕の渡し」の地図・口コミがご覧頂けます。

「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。

岩渕の渡しの口コミ情報

2022年03月05日 長森原


稲付城の北1.5キロの地点にある岩渕の渡し。ここは鎌倉街道中ノ道が入間川(現・荒川)を渡っていた渡河点であり、鎌倉時代からこの渡しの両岸の川口と岩渕は街道の「宿」として栄えていました。

稲付城側の岩渕宿には鎌倉時代から遊女も居たらしく、「とはずがたり」の作者・後深草院二条が正応二年(1289年)12月に対岸の川口に逗留した際、
「前には入間川(現・荒川)とかや流れたる。向へには、岩渕の宿といひて、遊女どものすみかあり。山といふものはこの国内にはみえず。はるばるとある武蔵野の萱が下折れ、霜枯れはててあり。」
と書き記しています。

稲付城跡の説明板には、稲付城が江戸城と岩槻城を結ぶ街道沿いに造られた繋ぎの城であり、城下の街道には関所が設けられていた事が記されていますが、その街道とは鎌倉〜江戸〜岩槻〜奥州を結んでいた鎌倉街道中ノ道の事であり、高台にある稲付城からは中ノ道とその渡河点である岩渕の渡しがよく見渡せたと思われます。

後にこの鎌倉街道中ノ道は、徳川将軍が日光東照宮参詣の際使用する「日光御成道」として整備され、将軍の御成りの際には岩渕の渡しには将軍専用の船橋が架けられました。
鎌倉街道中ノ道が将軍専用の日光参詣道となった理由は、徳川家康が慶長5年に上杉景勝攻めのため鎌倉街道中ノ道を北上し小山に至った時、石田三成挙兵の報を聞きすぐさま引き返し関ヶ原で勝利した故事に拠るそうです。

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore