善福寺城(推定地)

善福寺城(推定地)([石神井城  周辺城郭])

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善福寺城(推定地)の口コミ情報

2026年10月29日 マグロ常陸介祐平


分かりづらいお城です。昭和42年発行の日本城郭全集によると、善福寺城と呼ばれる城は3ヶ所もあり、いずれもよく知られていないとしています。

1ヶ所目は荻窪八幡社の南約500m程のところで、源頼義が東北遠征の帰りに築き守兵を残したとも、太田道灌が石神井城を落とした際の陣城とも、北条氏綱が上杉朝興を討つ為に、河越城と深大寺城の間を切り離す作戦の一環として築かれたともされるとしています。(このお城に関しては、先人様が「上荻窪城山」として口コミを投稿されています。)

2ヶ所目は荻窪八幡の北1km程の上井草三丁目あたりの低い丘陵上で、太田道灌が石神井城を攻める前日に陣を張ったとしています。近くには道灌橋と呼ばれる橋があるようです。

3ヶ所目は善福寺池上の池の東の台地とし、先人様がマークした善福寺に近い場所と思われます。数年前(昭和42年の)に城址の畑にぽっくりと穴があいたのは、城の井戸であろうとしています。この城は豊島氏配下の豪族の城で、文明9年に太田道灌が石神井城を攻めた際に、この地を焼き払ったと伝わるとしています。

風土記稿によると、往古に善福寺と万福寺というお寺があったが、いつの頃か廃絶して、今はその跡さえ分からないとし、善福寺は池の水の洪水により破壊され、今は池の名前のみ残るとしており、善福寺というお寺は善福寺池のごく近くにあったように読み取れます。位置登録されている現在の善福寺は、昭和17年に福寿庵というお寺が改称したもののようです。個人的には、同名のお城が周辺に3箇所あるのは不自然で、1ヶ所目-2ヶ所目の善福寺城は立地的に「善福寺城」と名乗る根拠が薄いように感じられました。いずれにしても、伝承の域を出ないお城だと思われます。

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