鎌倉道と渋谷城・説明板
鎌倉道と渋谷城・説明板([渋谷城 碑・説明板])
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鎌倉道と渋谷城・説明板の口コミ情報
2021年05月09日 長森原
大永4年(1524年)に後北条氏の攻撃を受けて落城、焼失したという渋谷城。
調べてみると大永4年に北条氏綱が扇ケ谷上杉朝興から江戸城を奪取した「高輪原の戦い」の際、渋谷城も攻撃を受け焼失したようです。
しかし上杉軍と北条軍が激突した主戦場である高輪原(現・港区高輪)から渋谷城は約4km離れており、かつ高輪原古戦場は鎌倉街道下ノ道途上、渋谷城は鎌倉街道中ノ道沿いであり、進撃ルートが明らかに異なっています。
渋谷城を攻撃したのは本隊とは別ルートで江戸城を目指す別働隊であったと考えられ、中ノ道を守る渋谷城を落とした後はその先の青山から矢倉沢往還を使って江戸城に向かい、上杉軍の背後から挟撃する作戦だったかも知れません。
ともあれ江戸城を守っていた太田資高が北条方に内通していた事もあり江戸城は後北条氏の手に落ち、高輪原の戦い以降は扇ケ谷上杉朝興は川越城に後退、南関東は後北条氏の勢力下に入りました。
渋谷城近くの渋谷川に架かる並木橋袂に、北条軍が進撃して来た鎌倉道(鎌倉街道中ノ道)を示す説明板が建っており、今は生活道路となっているかつての軍道・鎌倉街道中ノ道を見る事ができます。鎌倉街道中ノ道の続きは、渋谷城の東を通る今の八幡通りに踏襲されています。
写真の渋谷城模型は金王八幡宮の資料館のものですが、写真下の木札の所に鎌倉街道中ノ道も復元されています。
(2021.04撮影)