大沼神社
大沼神社([小野路城 寺社・史跡])
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大沼神社の口コミ情報
2025年08月23日 いれぶん武蔵守
由緒沿革
相模國大沼神社
鎮座地 相模原市東大沼二-一〇-五
御祭神 市杵島姫命(通称弁財天)
御祭像 木の座像
祭事
元旦祭一月一日
初巳祭四月始めの巳の日
例大祭九月の最終日曜日(昭和五十五年より変更)
七五三祭十一月十五日
由緒沿革
創立代不詳であるが、建武元年(一三三四年)南朝の忠臣小山田小太郎の敬神の念篤く「相模國大沼弁財天」を守護神として出陣の折欅製の木版を作成したものが起源あると伝えられている。一説によると、竜像寺の開山巨海が夢のお告げにより享保二十一年以前に祠として祀っていたとも言われている。また渕辺伊賀守義博が退治した大蛇が住んでいたのはこの大沼であったとも言われ、風一つない蒸し暑い日に茸の原が大きくうねり大蛇の渡り(中沼・小沼)があったと右老の言い伝えが残っている。
祭神の弁財天は、大沼地区の鎮守の神様として享保二十年(一七三五年)座立された木造賽社弁財天境内二七〇坪とあります。文化二年七月二八〇五年)再建木造、明治四年大沼神社と改名した。
大正四年改築(神命造・トタン茸)とする。又昭和四十五年再建し現在に至る。なお大沼神社の御祭神は通称弁財天(弁天様)という女性の神として江の島の弁財天と共に霊験灼な神様として近隣の人々から崇められています。
昭和十五・六年頃までは境内は推定樹齢三〇〇位の杉・松の大木が書一尚暗く覆い、堀は満々と水を湛え大蛇博説のロマンを秘めた大沼も、昨今は民家が建ち並びほとんど水が涸れている状態である。
境内地二七〇坪境外地二三五〇坪
氏子数 九十二名
(以上HP由緒全文)
小山田小太郎とは浄瑠璃姫悲話が伝え残されている小山田高家の事です。唐木田や蓮生寺、長池公園、小山田城(大泉寺)、東京国際GC[小太郎隠れ穴]等、短い活躍期間なのに各地に事績を残す高家は、当時の人々に親しまれていたのだろうと思います