古戰場伝說と勝負塚 説明板
古戰場伝說と勝負塚 説明板([小野路城 碑・説明板])
小野路城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:碑・説明板)、「古戰場伝說と勝負塚 説明板」の地図・口コミがご覧頂けます。
※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
古戰場伝說と勝負塚 説明板の口コミ情報
2025年08月04日 いれぶん武蔵守
古戰場伝說と勝負塚
伝説豊かな山里
昭和30年代、この付近で刃傷を負った鎌倉時代の人間の頭蓋骨が発見され、話題を呼びました。骨は付近一帯に昔から古戦場の伝説や古道があることから、元弘三年(1333)の新田義貞軍による鎌倉攻めの際のどちらかの犠牲者(比較的身分の高い武将)ではないかと言われています。近くにはこのほか、供養塚、勝負黒、大将塚など幾つかの家や、小山田小太郎隠れ穴、ひうち池などの伝説地が伝えられています。
新田義貞激戦の地
鎌倉幕府滅亡時の戦いを記した軍記物語の太平記や梅松論には、新田義貞軍は苦戦を強いられた分倍河原、関戸の合戦に相次いで勝利したあと、「関戸にて一日逗留ありて軍勢の着つけられけるに六十万七千余騎とぞ記されけり。⋯ここにて軍勢を三手に別け⋯云々」とあり、現在の多摩市役所付近(掛け松の伝承地)で休憩して一夜を明かし、ここで初めて大軍勢に膨れあがったこと、軍議を開いて翌早朝からの進攻を三手に分けたことがわかります。そのうちの右翼隊(西ルート)が小山田の現在地付近に進み、尾根の高台で、それを迎えた幕府軍と激戦となったことが想像されます。
[歴史監修 宮田太郎](説明看板全文)