下長淵三田氏館
下長淵三田氏館([勝沼城 周辺城郭])
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下長淵三田氏館の口コミ情報
2025年07月26日 マグロ常陸介祐平
勝沼城主の一族、三田氏の館です。下長淵の三田氏は、宗家三田弾正忠氏宗の次男掃部助定重の弟の太郎左衛門尉宗定を初代とするようですが、次男の弟(舎弟)の表現や太郎左衛門の通称に、引っかかるところがあります。茂木和平先生のよく表現されるところの兄弟の契りを結んだということでしょうか。羽村市の市域まで広がる長淵郷に勢力を持っていたようで、阿蘇神社の棟札には、定重とともに宗定(下姓を名乗る)の名が見られます。また、一峰院の開基三田将定も長淵の三田氏と考えられているようです。三田氏本流が滅びると、北条氏に従ったとの説もあるようです。
館は、多摩川の段丘上に位置しており、西側には谷となる川が流れています。遺構としては土塁が1条残るのみのようです。西側にある垣根に囲まれた現代に続く三田氏のお墓を覗いてみると、板碑一基と中世のものと思われる宝篋印塔、年代不明の五輪塔が並んでおり、古くからの家ということがわかります。明治11年に編纂された村誌には、四方に堀跡と書かれているので、その頃には、まだ遺構がよく残っていたようです。
2024年03月07日 いれぶん武蔵守
下長淵館とも称されている。城域もはっきりとはしていないが、現在の長淵1丁目の内、吉野街道北側部分に遺構が残っている。大きくは2本の川による深い谷に挟まれた範囲らしいのは、山側に「万場坂通り」と名前を残す坂道が馬場をあらわす事でわかる。西側に谷として接する鳶巣川が多摩川と合流する付近に、河辺の渡しがある事が、この地の戦略的重要性を明らかにしていると思う。範囲内には今も「三田」を称する方々が居住されているのは、店舗名等を表す看板でよくわかる。
現在はっきりと残っている遺構は土塁くらいだが、1990年頃までは吉野街道沿いに堀跡の可能性が感じられる凹みがあったと「資料青梅市の中世城館跡」(青梅市教育委員会)に記載されている。また私有地内の為、入って行けない崖端部に堀跡と思われる遺構もあったようだが、確認出来ない。川沿いに下っていく道路から見れる切岸と、下長淵公園から見れる崖状況、対岸から望める高低差15mほどある河岸段丘に往時の防備力が感じられる。