川口兵庫介館

川口兵庫介館([戸吹城  周辺城郭])

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川口兵庫介館の口コミ情報

2023年11月14日 いれぶん[⭕️雁雁]


 調井台と呼ばれるこの丘には中世の頃豪族として栄えた川口氏の館があった。
川口氏は武蔵七党の西党に属し草創の鎌倉幕府に貢献した。川口氏は応永年間兵庫介幸季の時代に最も繁栄した。南北朝室町時代戦国時代へと歴史は移り、関東は戦乱の時代をむかえた。川口氏も一党を率いて関東の山野に戦い、管領上杉氏の争いには扇谷定正の幕下にあって勢威を振るい、山内顕定と対峙した。やがて武相の覇権は大石氏から後北条へと移り、隆盛を極めた川口氏も歴史の波に埋没していった。
 しかしその事績は今に残り、圓福寺の寺宝大般若経典書に願主川口兵庫介幸季の名が見られる。これは大幡宝生寺の住職明鑁らの書写に依り鳥栖寺へ納められたものである。又、長楽寺の都重要文化財薬師如来像や、度重なる火災を免れて現存する鳥栖観音などに、往時の繁栄を偲ぶことができる。
 宅地化に景観が失われつつある昨今郷土の歴史を後世に伝えたく、嘗て川口一族を涵養し法蓮寺を望むこの丘に有志相計り館跡碑を建立する。
 昭和五十六年五月
 撰文 郷土史家 佐藤孝太郎
 奥住忠一 書
(側碑の説明文全文。碑裏面には三十三代に及ぶ当主名が刻まれている)

秋川街道沿いに忽然と屹立する台地は、等高線が2本挟まるからおよそ15mほどの高さであろうか。東西に谷川が走り、自然の地形による防備と水理、遠望を確保した土地は、西党の一族として相応しい。切り通しで作られた館の進入口は横矢掛けを成し、両側は掘り残し土塁状にも見える。館範囲や施設については不詳なのが残念だが、"調井"の地名は上杉氏が八王子城攻め時に平井無辺を調略し準備を整えたと伝えられるので、それなりの偉容を残していたのかもしれません。

写真は石碑柱、側碑、秋川街道からの進入口を示す小石碑柱、西端の谷川、秋川街道と進入口、北側の遠望

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