信松院

信松院([横山党館  寺社・史跡])

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信松院の口コミ情報

2024年12月11日 尼崎城山城守一口城主


11/30、信州の武道家さん達と八王子城登城(登山)前に信松院をお参り。山門(写真①)から境内に入る前に山門右の松姫様(写真②)に挨拶。丁度紅葉の色づく時期で松姫様に彩を添えていました🍁
お寺の文化財は写真③の通りですが限定日公開との案内がありました。※御朱印は書置きのものを頂けました🖌️寺務所の方に松姫のお墓の場所を尋ねたところ、本堂(写真④)裏の墓地の大きな松が目印ですよとのことで、写真⑤の案内に沿ってお参りに向かいました。教えてもらった通り墓地内の大きな松🌲の横に松姫尼公のお墓(写真⑥)が見えてきて、武田菱の家紋があるお堂内のお墓(写真⑦)にお参り。墓前に花がお供えされていて今も地元の方々に親しまれている様子が伺えました💐
お墓の説明板(写真⑧)にあるよう、20代前半で姪(兄の勝頼公や仁科盛信公の姫)などを伴って八王子に逃れてきたりと幼い頃から激動の戦国の世に翻弄されながらも力強く生きられた人生だったんだなと感じられました。
お寺のしおりを読むと松姫が伝えた織物が後世に八王子織物として発展したこと、八王子千人同心の心の拠り所になったことなどが書かれていました。

2024年09月08日 いれぶん武蔵守


市指定史跡
松姫尼公墓
所在地八王子市市台町三丁目十八番二十八号
指定年月日 昭和三十一年三月三十日
松姫尼公は、永禄四年(一五六一)武田信玄の四女(六女ともいう)として生まれ、七才の時に織田信長の長男信忠と婚約したが、その後、武田・織田両家が不和となってこの約束は果たされなかった。
天正十年(一五八二)武田氏滅亡の際、姪たち数人と八王子に逃れ、二十二才の時、下恩方町の曹洞宗心源院六世随翁舜悦ト山禅師のもとで出家し、後にこの地に庵を建て信松院を開基せられたのである。元和二年(一六一六)五十六才で没した。
法名は、信松院殿月峰永琴大禅定尼である。
令和二年三月三十一日
八王子市教育委員会
(案内看板全文)

信松院
武田信玄の娘である松姫は、元武田家の家臣である千人同心や大久保長安の心のよりどころでもあり、墓を囲む玉垣は、没後132年目に千人頭・千人同心らが寄進したもの。
また、一緒に甲斐から逃れてきた松姫の兄・仁科信盛の娘・小督(出家して玉田院)の墓は大横町の極楽寺にある。
(東京都指定旧跡)
仁科信盛の孫・仁科資真が尼公百回忌に寄進した木製軍船ひな形と寄進目録は東京都指定文化財。この軍船は朝鮮出兵の時、小早川隆景軍が使用した軍船の小型模型といわれている。
また、木造松姫坐像は市指定文化財。
(見学は予約が必要)
(案内看板全文)

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