関根氏館
関根氏館([久喜陣屋 周辺城郭])
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関根氏館の口コミ情報
2026年09月25日 マグロ常陸介祐平
吾妻鏡に載るとされる広沢三郎重義の後裔の関根氏の館となります。風土記稿青柳村の旧家者十次郎として、「関根氏なり。先祖は広沢三郎重義と云ふ、鎌倉将軍家に仕へし人にて、東鑑にも其の名見えたり。夫れより数代の後、宮内丞重豊なるもの、下野国那須郡関根村に住す。是れより関根をもて氏とす。重豊の孫民部少輔重隆は、左馬頭政氏に仕へり。政氏・武蔵国久喜郷の館に住せし時、重隆従ひ来りて当国埼玉郡青柳村に居住す。後天文十八年、久喜の甘棠院再建の時、此の人力を尽して助けをなせし故、其の時の棟札に、重隆、及び其の子弥七郎重延が姓名を記しありとぞ。今此の棟札は伝はらず。重隆は永禄十二年二月十六日卒す。重延は後筑後と号し、慶長十七年八月二十三日卒す。夫れより三代目彦右衛門が子小左衛門なるもの、其の弟武兵衛に家を譲り、おのれは江戸へ移りて仕官せり。此の時家に伝へし文書系図等は、小左衛門が方に持ち行きて、今子孫蔵すと云ふ。十次郎は武兵衛より四代の後なり。又雨寳寺境内に五輪の石碑二基あり。これ此の家の祖先の墓碑なりといへど、文字漫滅して読むべからず。」と記されています。とはいえ広沢三郎重義の名は吾妻鏡には見られず、実際に見られるのは広沢三郎実高と広沢三郎兵衛尉実能であり、誤記または、後世に先祖を飾るために捏造された歴史かもしれません。不思議なことに、岩槻の裏慈恩寺の関根氏や粕壁宿の関根氏も広沢氏の縁者と伝わっています。いづれにしても、江戸時代後期に旧家として認識されていたことは間違いなく、立地からして久喜と関連の深い足利政氏と関係していた可能性はあるように思われます。
屋敷は江面小学校となり、遺構は残っていないようです。小学校を囲むように東側を除き水路が見られますが、水堀の痕跡でしょうか(写真1~4枚目,南側は暗渠)。東側に隣接する雨寳寺(写真5枚目)は関根氏の菩提寺で、江戸時代初期の創建と考えられているようです。風土記稿に載る古い五輪塔2基は、見当たりませんでした。









