渡辺多門屋敷
渡辺多門屋敷([久喜陣屋 周辺城郭])
久喜陣屋 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「渡辺多門屋敷」の地図・口コミがご覧頂けます。
※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
渡辺多門屋敷の口コミ情報
2025年11月13日 マグロ常陸介祐平
新編武蔵風土記稿の上川崎村の中で、旧家者として紹介されている幸手一色氏の分家渡辺氏の屋敷です。一色公深の七代孫の一色宮内大輔直朝は、天文年間に足利晴氏、義氏の二代に仕え、後に幸手庄に蟄居するも、その子義直は徳川家康に仕えて、幸手5160石川の旗本になっています。その際に弟の政義はこの地に帰農して、姓を渡辺に改めています。また、Wikipediaの「一色氏」や「幸手市」の中で、天正18年(1590年)の小田原の役で北条氏が改易になると、直朝と義直は田宮(幸手)城を退去し、下総国大淵寺に隠居、義直の弟で小文間城(取手市)の城主の政義は、現在地である上川崎に帰農したとしています。小文間地区に残る伝承では、一色政良の永禄4年(1561年)に現地で亡くなっていますが(墓もある)、上川崎の渡辺政義は、元和2年(1616年)に亡くなっており、同一人物とは思えません。上川崎の渡辺氏は、代々名主を勤めており、近代になると渋沢栄一の晩年に秘書を務めた得男が出ています。
屋敷は住宅となり内部は確認出来ません。外観からは城郭的な構造は見られませんが、門前に立つ2本のタブノキは樹齢約400年の巨木で、「旧渡辺多門家のタブノキ」として久喜市の天然記念物に指定されています。タブノキの説明板は、渡辺家の出自についても記述があります。









