高野城(高野浅間台城)

高野城(高野浅間台城)([幸手城  周辺城郭])

幸手城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「高野城(高野浅間台城)」の地図・口コミがご覧頂けます。

「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。

高野城(高野浅間台城)の口コミ情報

2025年09月04日 マグロ常陸介祐平


関東三大施餓鬼のひとつ「どじょう施餓鬼」で知られる永福寺(写真1,2枚目)に関連するお城です。

室町時代、姉小路公景の子の高野城主藤原因幡前司長福は、殺人を繰り返す極悪人で、妻は子供を比叡山に上らせて自害します。高僧日尊上人となり比叡山から戻った息子は父長福を説得し、古くからの阿弥陀寺(後の永福寺)を再建しますが、落慶法要の際に長福は落馬して苦しみぬいて落命します。悪人である長福や三界萬霊を成仏させる為に行われた施餓鬼が、今日の大施餓鬼に繋がっています。風土記稿には、境内には因幡池という小池があり、当時因幡(長福)の屋敷の内で施餓鬼を行ったような記述があります。長福の後は日尊上人の弟の藤堂左衛門尉長泰が城主となりますが、一色直氏に攻められ長泰は上方に逃れたとされています。その後、高野城には直氏の子の頼氏が入り、永福寺(長福寺)には、一色氏の子弟から住職が入ることが多くなったようです。永福寺の縁起に、古河公方と関東管領上杉氏との合戦で、岩槻城の渋江氏が一色氏の守る城に火を付けたとしているようですが、他に記録は見られないようです。

永福寺から南東に200m程のところには、全長寺というお寺があります(写真5,6枚目)。幸手城主一色宮内大輔直朝の弟の一色善十郎直春が開基となり一色氏累系の菩提を弔う為に建立したと伝わり、墓域には直春の墓(写真7枚目)があります。遺構は見られませんが、このお寺付近が一色氏の高野城があったとされ(先人様が位置登録、杉戸町誌が根拠と思われる)、全長寺の西隣の天満宮が城址とされています(写真3,4枚目)。風土記稿の記述では、永福寺付近と思われますが、少々距離は離れています。また、全国文化財総覧では、永福寺から500m程北のドラッグストアセキ下高野店の裏を高野城としており(写真8枚目)、本当はどこにあったのか、複数箇所あったのか、謎のお城です。

幸手一色氏は、江戸時代に大身旗本として存続しますが、江戸時代初期においても、こちらの直春や小文間城主の政良、関宿藩の御用船を襲撃した輝季のような系図に現れない伝説的な人物が多い一族で、調べていると楽しくなります。

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore