安国寺
安国寺([越ヶ谷御殿 寺社・史跡])
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安国寺の口コミ情報
2026年09月29日 マグロ常陸介祐平
安国寺は古くは蓮生坊(熊谷直実)の草庵と伝わる古刹で、足利尊氏により暦応年間(1338~1342年)全国に創建された安国寺のひとつとも、康安元年(1361年)に紀伊国熊野大泊村の安国寺の僧の誠誉専故が、大泊という同名のこの地が蓮生坊の旧跡と知り、一寺を建立し安国寺と称したともされています。本尊の阿弥陀如来立像は鎌倉時代前期の作で、蓮生坊が法然上人から譲りうけたものと伝わります。また、円空仏も三体伝わり、共に越谷市の文化財に指定されています。
安国寺は、複数のお城のサイトに「安国氏館」として紹介されています。館の主は安国浄恩とされ、古河公方と管領上杉氏の確執により関東に戦国時代が到来すると、向畑城主(越谷市)の新方頼希と八条(八潮市)の領主八条兵衛尉が争うようになり、安国浄恩は新方氏方として活躍したとされています。出典は越谷市の清浄院に伝わる「六ケ村栄広山由緒著聞書」で、作者は藤田信吉(西方藩主)とされ、嘉永4年(1851年)に写本された伝記本です。該当部分を見てみると(越谷市デジタルアーカイブで見られます)、清浄院の僧高賢は新方頼希の兄で、高賢が清浄院の本寺である岩槻の渋江寺(浄安寺)にいた時に、八条氏に奪われた向畑城の奪還に動いており、元々清浄院の末寺であった安国浄恩の両寺は、清浄院が衰退した時に独立するも今は渋江寺の末寺となっており、高賢に従い参戦したように読み取れます。ということで、安国浄恩は2つのお寺を指す言葉で、個人名ではなく、それぞれのお寺の勢力(僧兵?衆徒?)が参戦したと考えて良さそうです。安国寺は岩槻浄安寺の末寺なので、このお寺で間違いないように思われますが、浄恩寺については分かりませんでした。また、安国寺自体には合戦についての伝承はないようで、城郭的な構造があったかどうかも不明です。
余談ですが、安国寺の副住職は、現役の女子プロレスラーのようで、お寺でプロレスが開催されることがあるようです。









