関根兵庫館

関根兵庫館([難波田城  周辺城郭])

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関根兵庫館の口コミ情報

2026年09月28日 マグロ常陸介祐平


関根氏の館(屋敷)の5つ目の口コミとなります。。他にも児玉などにあるようですが、とりあえず最終回です。

関根兵庫の館とされています。日本城郭大系に、「関根兵庫の居館という。年代不明。オシロガ・カマンバの俗地名がある。」とのみ書かれています。館の東側は兵庫野の小字となっており、兵庫が開拓した土地と推測されているようです。関根氏の出自等は不明ですが、菩提寺の大仙寺(写真3,4枚目)の関根家の墓誌では、先祖関根兵庫頭が寛永二十年六月(1643年)に亡くなったことが刻まれており、おそらくですが戦国時代末期から江戸時代初期にかけての開拓者だと思われます。兵庫の官途を名乗のり、城郭構造を持つ館に居住しており、年代的には、北条氏関係もしくは関ヶ原改易組の遺臣の系統かもしれません。

荒川に架かる羽根倉橋の西岸の河川敷にあるNTTのグランドが該当地となります(写真1,2枚目)。昭和初期まで遺構が残っていたとされるようですが、普通の河川敷のグランドです。訪問日はサッカーの練習に使用されていました。

館のある羽根倉橋周辺は、観応2年(1351年)に難波田九郎三郎と高麗彦四郎経澄が対戦した羽根倉古戦場です。迎え撃った難波田氏が敗北し、九郎三郎は討死しています。

余談ですが、関根氏の菩提寺の大仙寺には、兵庫家とは別の関根氏の墓域に5基(1基は上部欠損)の板碑が見られます。実は古くから関根氏が居住していた証拠?と思いきや、種子の下には正徳元年(1711年)などの江戸時代中期の年号や江戸時代の特徴を持つ戒名が刻まれていました。板碑は江戸時代初期までには作られなくなったとされていることから、かなりレアなものと思われます。

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