須加城
須加城([皿尾城 周辺城郭])
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須加城の口コミ情報
2024年07月17日 マグロ常陸介祐平
城主の須賀(須加)氏は成田氏の重臣で、須賀泰隆は成田氏長の姉婿にあたり、石田三成らの忍城攻めでは一族として本丸に詰めています。成田家分限帳では、御家門百貫門、上杉氏の関東幕注文にも須賀氏の名は記載されています。
新編武蔵風土記稿にも、須賀氏に関しての記載は多く、永享12年(1440年)の一色伊予守による須賀土佐守の城の落城の話や、屋敷跡として「今は陸田となっている成田氏家臣須賀修理大夫居住の地で、村の名主は子孫と言われている」と書かれています。また、埼玉村の項にも須賀氏居館として「須賀修理大夫屋敷跡は、今は陸田となり字御下屋敷とよばれている」と記載されており、忍城近くにも屋敷を与えられていたことがわかります。
市の説明では天正期の築城とされていますが、永享12年の落城の他にも、天文5年(1536年)の赤井勝元による落城の記録もあり、よく分かりません。
お城の遺構については、江戸時代後期の風土記稿の段階で、陸田となっていたようですので、残っていません。今回、石碑のある長光寺を探索しましたが、お隣の小学校の方が高台にあるので、本丸はそちらかもしれません。お寺の参道脇に土盛りが見られますが遺構とは思えません。城跡に建つ長光寺は、文禄2年(1593年)の創建で、阿弥陀堂は、徳川綱吉生母の桂昌院ゆかりのものです。
2023年05月28日
行田市立旧須賀小の西側、雑木林は石碑から6mほど高台にあり、縄張りの内だったかもしれません。
5代将軍綱吉御生母、桂昌院ゆかりの如来堂(長光寺さん境内、墓域)が隣接します。
現況では堤防のほうが高いけれど
(小学校は高台からの3階建)
利根川左岸から、須賀城跡付近を遠望してみました。