東方城
東方城([庁鼻和城 周辺城郭])
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東方城の口コミ情報
2024年10月18日 マグロ常陸介祐平
戦国期は深谷上杉氏の支城で、四宿老の一人とされる矢井伊勢守重家の弟、若狭守重任が城代を務めたとされています。天正18年(1590年)、徳川家康の関東入国後に、松平康長(二連木戸田宗家)が1万石で東方城に入り、慶長6年(1601年)に2万石で上野白井城に移ると廃城になったようです。
お城は、土塁に囲まれた曲輪が飛び地のように散在しており、さくら保育園の南側が本丸と思われる御所屋敷、西側にお庫屋敷(道路となっている)、東側に城主別邸とお姫屋敷(土塁があるようだが確認できず)、お姫屋敷の南東にも発掘調査で堀が検出されています。
御所屋敷は、標柱のある南側から西側にかけて土塁が良く残っており、北側は二重土塁になっています(写真1,3,4,5,6枚目)。この付近はクヌギが多く大量のスズメバチに遭遇したので注意が必要です。また、西側の道路沿いにも土塁が残り(写真2枚目)、道路の向かい側には古墳が見られます。城主別邸は、東方城城塁跡(二号)の標柱が立つ民家(写真7枚目)の庭の裏にありますが、見学出来る雰囲気ではありません。
お城から500mほど西に熊野大神社があり(写真8枚目)、曲輪とされているようですが、今ひとつ実感が湧きませんでした。