秋元氏館
秋元氏館([庁鼻和城 周辺城郭])
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秋元氏館の口コミ情報
2024年10月20日 マグロ常陸介祐平
深谷上杉氏の家臣、秋元氏の居館です。秋元氏は深谷城に秋元越中守曲輪の名称が伝わる重臣でした。
秋元氏は、君津にある秋元城主の一族とされ(家紋が木瓜紋の成田一族とされる熊谷上之の秋元一族との説もあるようです)、景朝が上杉憲賢・憲盛に仕えこの地に館を築いたとされます。景朝の子の長朝は、天正18年(1590年)の小田原の役では、小田原城に入城した主君氏憲に代わり、深谷城を守るも開城しています。2年間の隠棲後(隠棲先が登録城の平山館の説あり)に、どのような縁なのか井伊直政の推挙により徳川家康に仕官し、直政の配下として上野に4000石を与えられています。関ヶ原の戦い後には、上杉景勝への降伏の使者となり、功績として総社藩1万石の藩主となっています。子孫は栄達し、最終的には館林藩で7万石(明治になって)となっています。
新編武蔵風土記稿では陣屋蹟として、「村の中程の小高い所にあり、小字として金燈籠と呼ばれ、秋元越中守長朝の陣屋で、寛永10年に長朝が甲斐国谷移ると廃されたという。今は大部分が林となっているが、土塁と堀の跡が残っている」としており、江戸時代後期には遺構が残っていたようですが、現在は住宅地となっており、ロータリーに石碑と説明板があるのみで遺構は残っておりません(写真1.2枚目)。館跡の古地名が金燈籠となっていますが、由来は世良田東照宮にある日本一の鉄燈篭が秋元長朝が寄進したもので、納品前にこの地にあったことから名付けられたものです。
近くにある元誉寺には、景朝と長朝の供養塔があります(写真3,4,5,6,7枚目)。