増田氏館
増田氏館([深谷城 周辺城郭])
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増田氏館の口コミ情報
2024年11月08日 マグロ常陸介祐平
城主の増田四郎重富は、古河公方足利氏の家臣で、秩父党もしくは児玉党の出身と推測されているようです。文明10年(1478年)に扇谷上杉氏に攻められ、このサイトの登録城の高見城(小川町)に移動、熊谷市野原にある文殊寺にも館を構えています。
群馬県月夜野町の増田氏は、重富の子孫とされ、沼田氏の家臣となったようです。
近くには、諏訪山神社がありますが、埼玉苗字辞典では、増田氏館は神主の常政氏の屋敷ではないかとしています。
新編武蔵風土記稿の上増田村の古城跡として、「村の東にあり、堀形土居のみ残りて百姓の屋敷となれり、東西94間、南北69間許の地なり、増田四郎重富と云うもの住せりと云。重富の事蹟は、比企郡高見村、男衾郡野原村の條に見えたり」とあり、江戸時代後期には広い範囲に土塁や堀が残っていたようですが、北側に近年まで残っていた遺構も現在は区画整理で堀は道路となり、座敷林の中に土塁らしきが見られる程度になっています。高台には感じられませんが、明治時代の洪水で、浸水しなかったとのことです。