真下氏館
真下氏館([雉岡城 周辺城郭])
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真下氏館の口コミ情報
2025年04月20日 マグロ常陸介祐平
真下城の帰りに、真下氏の本貫の地にあった館跡を訪れてみました。
真下氏の初代真下基行は、児玉党本宗家の2代目児玉太夫弘行の三男(実際は弘行の次男有道(入西)資行の末子のよう)で、この地に館を構えたようです。平家物語や吾妻鏡に一族の名が見られ、子孫(坂本氏)に伝わる文書には土佐坊昌俊に従って義経襲撃にも加わったとしています。南北朝期に南朝方として真下春行や一族多数が討死すると脇屋義治の子が養子に入り、清水と名を変え越後に隠れ住んだとしています。一族の中からは(春行の弟基行?)鬼石譲原に移った者がいたようです(真下城主真下氏)。清水氏となった真下氏は、その後、坂本と改名し、現代まで続いています。どこまでが事実なのかは見当もつきませんが、真下氏の古いお墓は(板碑や南北朝からの小さな墓石群)は、真下氏の館跡にある坂本家の墓域に存在します(写真3枚目,Googleマップに古石碑群で位置登録)。
館の跡は、畑(写真4枚目,包蔵地付近)や馬頭観音堂や墓地となり、遺構は皆無ですが、近くには真下基行の守り本尊を祀る龍泉寺(写真1,2枚目)や真下基行が勧請した金佐奈神社(写真5,6枚目)が建ちます(近年の移転ですが)。